人間に限らず、自分の意思を伝達しようとする行動といったものがある。
その行動は、言葉であったり文章であったり、身体の動きであったり、烽火(のろし)や音といった何かしらを用いたりして…。
美術あるいはArtもまたそういった意思伝達要素を持っていないとは言えないものの、少なくとも自分が美術として行う何かしらの行動によって、自分の意思を伝達しようとは思っていないし、そもそも自分がつくるそれで意思が伝達できるとは思っていない…。
ただ、美術やArtに限らず、音楽や演劇…といったものがつくり出すモノや行動には、意思伝達とは異なる何か別の要素が関係していて、そもそも私たち人間や…否、この世に存在する生きとし生けるものすべてが、意思とは異なる別の「何か」を感じ取ることが出来る力を持っているのだと思っている。
それはスピリチャルな領域の話しですか…と問われれば、そう とも言えるけれど、考えてみれば、意思伝達の為の様々な仕組みや方法が生み出されてはいるものの、それによってこの世のバランスが保たれているどころか、自然はますます蔑ろにされ、人と人は争い続け、富める者と貧しい者との格差は広がり続けている…。
こうした状況はつまるところ、意思伝達の限界が招いた事実というか、意思伝達の重要性、意思伝達の絶対性という幻想に起因、生じているのではないだろうか。
自分は「この世とは波動の連続性によってつくられる集合体」だと理解している。
この世に存在するあらゆるものはすべて波動を伴っていて、その波動をこの世のすべてが…私たち人間も本来はそれを感じることが出来るはずなのだが、そうした波動の交換プロセスによってこの世は成り立っていて、その強弱が大気の循環を促し、時には地震や台風となることもありはするけれど、生命にとって最も重要なことは波動を如何に感受するかであり、本来それが感性なのだと思う。
自分にとって作品制作とはその感性を発動させるための行為であって、意思とは違う…それでいて人が互いに感じ合うことが出来る場のエネルギーをもたらすために必要な何か…。
そうした場と機会をつくりたいと思っている。
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小池雅久展 2022
Masahisa Koike Solo Exhibition 2022
「Muddy River 泥の河
2022年10月10日~11月9日
FlatFileSlash Warehouse Gallery
〒長野県長野市小鍋11-17
@ FLAT FILE SLASH
11月3日 水曜日
午前11時頃より 18時頃まで在廊しています。
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