昨年亡くなった実母は、普通が一番…という信念の持ち主で、自分がまだ子供だった頃から、事ある毎に ヒッピーと過激派にはなってはいけない… と言うような人だった。
とは言え、ヒッピーも過激派も理解していなかった自分にとっては、その響きだけが妙に意識に残り、結果、その両方に強く興味惹かれるようになってしまった挙句、芸大に行きたいと言い出した時には、わざわざヒッピーになりに行くようなもの…と言ってのけたのには流石に笑えた。
中学を卒業して直ぐに働かざるを得ない境遇にあった母にとって、ヒッピーも過激派も、接触はもちろんのこと、彼ら彼女らが何故そういう生き方を選択したのかを知っていたとは思えないし、単にテレビや雑誌から伝わるイメージに自分の経験から生じる考え方を重ね合わせた言葉にすぎなかったのだとは思う。でもそれは、母が感じた当時の社会の在り様であって間違いということではない…。
そしてそれは、そうではない生き方をしている自分に対しての自己肯定であったと同時に、社会=外 と 自分の幸せ=内 との理想のあり方についてを、母なりに感じ、そして集約した表現がそれだったのだとは思う。
勉強はし過ぎても、しなさ過ぎてもだめ。
し過ぎると過激派になるし、しなさ過ぎるとヒッピーになってしまう…。
幸せとは普通であること。普通であるために学びが必要なのだと。
おそらく我が子の選択した生き方、社会との関係性は、母の理解の範疇には無かったのだろう。
病床にあってまで、そんなことばかりしていないで、何処かに働きに行った方が良い。普通が一番なんだから…と言っていた母。
そんな信念を最後の最後まで変えることなく旅立っていったのだから、ある意味、驚くべき信念の持ち主であったのかもしれない。
そんな母が信じた普通とは何か…。
それは自分がこの世を生きる上での重要な問となっていて、母の言葉の多くを素直に受け入れることが出来なかった、しなかった自分にとって、母は常に半面教師ではあったものの、自分の考え方に相反する考え方の持ち主だからと言って、単にそれを否定したり間違いであると指摘しても誰も幸せにはなれないということについてを、母との関係性の中で学ぶことができたと思っている。
普通であろうとする意識は社会の安定という観点からすれば、いまの人類が到達した極めて優れた意識だと自分は思っている。
ただし問題は、普通でないことに対する非難、排除、差別…であって、そうしたことが何故起こってしまうのかと考えれば、そこには普通であろうとする意識の大衆化と言ったら良いのか、その普通がどんな普通であろうが普通でありさえすれば良いといった、大衆意識化という脆弱性がある。
この脆弱性に対して大衆操作が起こる可能性があって、非難や差別、排除は、多数の意識の集合が必要で、そこに大衆化が利用される。
そう考えれば、普通であることが社会の問題ということではなく、最も大切なことは普通であることに何の疑問も生じなくなると他者との共存感覚もまた失われてゆく…
その可能性を否定出来ない時にあると思っている。
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※画像はネット上からお借りしました。
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