「美術家」

職業について質問される度に、はたして美術家とは職業と言えるのかという想いは否めないものの、出来ることならこの人生を美術家として生きたいと思っている自分は、その質問に対して「美術家です」と答えることにしている。

…と答えながらも、美術家とは何か はとても難しいこと。「だからこそ自分は美術家としてそれについて考えています」

…本当はそう答えるべきなのかもしれないし、

それはまた、美術とは何であるのかということでもあるのだけれど、自分はこれについて考える際、先ず以て美術とArtは似て非なるもの ということが重要だと考えている。

美術にせよArtにせよ、作品とは答えではない ということについては大凡のところは共通している。

それは、どんなに高い評価を得ている作品であったとしても、どう感じるかは鑑賞者に委ねられているということであって、これは現代の美術やArtの成立にとって最も重要とも言えるけれど、ここで言う「自由」とは、Freedom、あるいは、Libertyが意味するところの自由であることは忘れてならない。

美術とは、Artとは何か…について考えるためには、先ずはこの自由との関係性から考えるてみるのが良いのではないだろうか。

言語は民俗性を最も色濃く含むものであって、物事を如何に認識しているのかについて最も簡潔に表現しているものだとも言える。

科学の進歩によって、民族をDNA解析によって分類することも可能になって来てはいるけれど、DNA情報には民族として育まれた精神性や生活風習といった文化情報は含まれていない。

それに対して、言語にはそうした情報が含まれているのだとすれば、「自由」という言葉一つとっても、そこには多くの民族性が含まれているということ、異なる言語の翻訳は極めて難しいことであって、そこには限界があるということを忘れてはならないのだと思っている。

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