PlanterCottage(プランターコテッジ)は、東京都国立市で私と妻(RIKI-TRIBAL)
そしてここにを訪れる人々が参加することによって行われた場づくりの名称。
昨年5月、建物の老朽化による取り壊しを期にその場づくり(制作)は終了した。
私たちは4年前、PlanterCotttageで採れた種を此処(長野市)に撒いてみることにした。その種は いまここ で成長し続けている。
以下は、いまから10年ほど前にPlanterCottageについて書いたもの(一部省略)
“PlanterCottage”
Planter 1:植える人・耕作者 2:開拓者 3:植物栽培容器
Cottage 1:粗末な家・小屋 2:小さな家 3:別荘
始まり
1999年の冬の終わり。
私と妻は築33年の木造平屋の集合住宅の一部屋を借りることにした。
植物は「此処という場所」と「今という時間」を正確に知る生き物だと考えていた私は、その場所に草と種を植えてみることにした。
それは、その場所から植物に向かって語りかける最初の言葉となった。
それから5ヵ月後の初めての夏。
私たちは、ここを PlanterCottage (プランターコテッジ)という呼ぶことにした。
目的
1:次に向かうべき場所を知ること。
2:次に伝える必要があることが何であるのかを知ること。
それによって、『今を知る力(知識)と次に進む力(行動力)を持つこと』
私たちはそのための一つの方法として、「植物と人の共生」について考えることを選択し、その為の拠点となる場所を用意することにした。
私たちの行く先に何があるのかを私たち自身が知ることはできないが、此処という場所が、次に向かうべき場所にとっての重要であることは間違いない。
ただし、「いま」という時間が変化すれば、私たちが伝えるべき内容も変化する。
私たちの目的は不変、だが私たちの道筋は常に変化する。
試み
PlanterCottageは、私が次に向かうべき場所を知るため、そして次に伝える必要があることを知るための場所として必要な場所である。
PlanterCottageにとって最も重要なことは、ここを訪れる人がいること。
私が撒いた種や植えた草が、雨がふり 風が吹き 虫たちが訪れ 日の光を浴びることで花を咲かせ実を付けるように、ここを訪れる人の存在と、その間に築かれる様々な関係をなくして目的に達することはありえない。
訪れてほしい存在を望むことはできたとしても、必ずしも望みどおりの訪問者が訪れるとは限らない。
私たちにできることは、ここを必要とする全てに向かって窓を開け放つこと、開かれた場となることだけであり、唯一そうすることだけが、いま何処にいるのかを知る為の手だてになるはずだ。
植物と人との共生
私たちが考える、植物と共生する暮らしとは、様々な要素が融合する環境の下、互いが必要とし合える関係性を考え続けること。
ここで注意しなければならないことは、私たちは、ほぼ無意識の内に、育てる側と育てられる側に隔てられた関係性の中で考えがちになること。
単一の方向性の思考から、多重な方向性を持った循環に重きを置いた思考にシフトする必要性がある。
多重な方向性を持った循環型の関係は、常に「此処という場所」と「今という時間」を知ろうとする努力と、過去と未来への想像が欠かせない。
循環とは今何が必要なのかを問い、考え続け、途切れかけた過去と未来を繋ぐことだ。
植物は過去から現在まで、そうやって生きてきた生きものであり、私たち人は植物からそれを学ぶことができるはずだ。
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