私達が生きるいまは、1945年8月6日午前8時15分の瞬間から動きはじめた時の流れの中にある。

いまこの国に生きる私達は,あの日,何故、広島に原子爆弾が投下されたのかについて、あらためて学び直さねばならない時にあるのではないか…。

唯一の戦争被爆国でありながら、核兵器禁止条約に否定的な政府の姿勢に疑問すら感じていないかの社会の姿…

そのあり方は、他者の痛みや苦しみを如何に想像するかの想像力を蔑ろにすることをつうじて、今さえ良ければ、自分さえ良ければ、を肯定し、未来に対する不安と絶望を増長する。

現代資本主義経済がこの不安という絶望を経済繁栄の原動力とする現状に対して、誰もが、ちょっとまった! と言えるようにるためには、「想像の学びと想像の開放」の必要性をあらためて強く感じる8月6日の朝。

核兵器の使用は勿論のこと、この世に於けるありとあらゆる核の利用を直ちに止めることを切に願います。

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