ふと、山に登りたい。というよりも、山に行きたい…という思いが沸き起こることがある。
生まれ育った家があった場所は、山と町の境界のようなところだったこともあってか、山は自分にとって身近でありながらも、自分がいまいるこちら側とあちら側という感覚をもたらすものだった。
かつて子供時代。自分の中にあった 山に行きたい という気持ちもまた、自分にとってはあちら側に行きたいという気持ちのあらわれであって、山の入り口は目には見えない境界のようなもの。
その山の入り口に立ち、そこを越えて中に入ること。その先には自分にとって何か大切なことがあるような気がして、それを感じようとしていたような気がする。
こちら側から見た山の入り口は何となく暗く、静かで、中に入ってはいけないような気配を発していた。
事実、自分の子供時代とは言え、学校でも家でも、一人で山や川には行かないように注意されてはいたけれど、そうではあっても自分は一人で山に行くのが好き、というよりもむしろ、山は一人で行くところだと何となく思っていた。
制作の様子を見に来てくれた友人が、
「渦に飲み込まれる。
飲み込まれながら、見るしかない。」 と綴っていた。
つくる人、見る人、つくったものが隔てられることのない時間と空間を表現したいと思いながら先へと歩みを進めているいまの状況。
もはや作品を、空間全体を離れて見れるポイントは無くなりつつあって、つくっている自分にもまた、飲み込まれるという感覚が押し寄せてくるようになっている。
飲み込まれながらそれでもまだ進むその先に何があるのか。
豪雨が止んだその後に山の頂上が少しだけ見えたような気がした。
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