Gallery MAZEKOZE Nagano

2009年3月に東京から長野へと生活の拠点を移して丸14年。

あの頃はまだ、社会がこれほどまで不安定化するとは思ってはいなかったものの、自分が覚えていた感じでは無くなって、どことなく垢抜けたとでもいうか。いまにして思えばそれは都会化によってもたらされた気配だったのかもしれない…。

そこからさらに遡ること5年、自分の中に何とも煮えきらない…というか、燻ったとでもいったら良いのか…とにかく、この感覚はもはや東京に暮らしていては解決できないのではないかという思いが日毎に増してくるものの、東京という強力な引力圏からその外に出るには、それ相応の大きな推進力が必要だと感じていた自分は、結果的に娘の小学校入学というタイミングを利用したのだった。

その選択が良かったのか悪かったのかを判断することは出来ないものの後悔はしていないし、少なくとも娘は、嫌が応でも地方社会と大都市という関係の中で育まれる思考性を携えるようになったのだと思う。

そして、自分と妻がつくり続けている場、Gallery MAZEKOZEもまた、そうした関係性の中にあり続けたいと思っている。

そのGallery MAZEKOZEは、今年4月1日から開催予定している展覧会を期にGalleryスペースを大幅に改修することにした。

改修については、いつかはやらなきゃな…と思いながらも、見て見ぬ振りをしていたことでもあって、とは言え、この改修はこれまでのここでの展覧会ををつうじて、自分たちが社会の変化を見続けることが出来てきたからでもあり、長野市へと生活の拠点を移して15年目。

自分たちのGalleryとして「いま・何をすべきなのか」が朧気ながら見えて来たタイミングだと思っている。

自分と妻にとって、Art・美術との出会いはことさら重要で、これとの関わりが自分たちのいまのすべてをつくって来たと言っても過言ではない。

Gallryとはもちろん、作家にとっての作品発表の場ではあるけれど、自分たちにとっては、

いま・ここ についてを知り、次に何処へと向かうべきかを決めるための場であると思っているけれど、ここ数年の社会の混乱や不安定さの中にあって、いままで以上に、Art、美術の必要性を強く感じ考えるようになった。

長野という地方都市に暮らしながら、様々なものづくりに携わることによって、東京のような大都市での必要性が地方社会とどう関係し、どう影響を及ぼすのかについて考える機会はとても多い。

自分にとって長野市は生まれ故郷ではあるけれど、いまここに自分がいるのは、東京という場所でArtに出会い、暮らし、つくり、考えてきたから。

そうした意味からすれば、自分は東京という都市をつうじて多くを考えることが出来たのは間違いないし、長野と東京のどちらもが自分にとっては大切な場所。

これからも変わらず、この二箇所の関係は自分にとって極めて大きな位置にあり続けるのだと思う。

当初、カフェとしてスタートしたマゼコゼではあったけれど、現在はカフェを休止し、Gallery のみの運営。

それは単純にGalleryの運営だけで手一杯ということであって、おそらく今後もそれは変わりそうもない。

というか、カフェという場には大恋な可能性と役割があって、自分たちよりもそこに真剣に向き合える、誰かしら、何かしらの良い出会いがあれば…その時は是非再開したいとは思っている。

2年前。長い休眠状態から目覚め?た自分は、作品の展示を再開した。

それまでの長い間、自分はけっしてArtや美術が嫌いになったわけではなく、というよりもむしろ、Artや美術のことが好き過ぎるがあまり、社会とArtあるいは美術の関係について考えることで頭が一杯になっていて、自分が作品をつくって発表するのを忘れていた…に近い。

東京に暮らしていた頃に運営していたPlantercottageも、長野に生活の拠点を移そうと決めたのも、カフェ・マゼコゼも、Gallery MZEKOZE も、そのためだった。

そしてまた、自分が作品制作と展示を再開したのは、東京を脱出するために自分が利用したその娘が、長野から東京の大学へと進学したそのことが自分のその後を大きく方向付けた気もしている。

所詮、自分はArt馬鹿。こんな糞ったれの社会でも、Artを美術を手放せない馬鹿共と、もうしばらく一緒に生きてみたいと思っている。

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