長野美術専門学校の「クリエイティブ総論」と題した授業の第1回目にゲスト講師としていらして貰えませんかという依頼があり、専門学校と大学校との違いについてはあまり解っていないけれど、長野市近辺には美術系の学校がこの1校しかないことからすれば、この学校で育まれる感性や意識が、長野という地域にとっての美術・Art、デザインに対して少なからず影響しているのだろうな…と思いながらこの依頼を快諾、授業に参加した。
授業のタイトルは、「アートか?デザインか?」という実に壮大なテーマで対象は全学科。
長野美術専門学校ではデザイン系がArt系よりもだいぶ多いそうだ。
こうした傾向は美術系大学でも同じで、美術・Art系の志願者は年々減少傾向にあるそうだ。このご時世、その傾向は当然だと思ういっぽう、それはこの社会にとってArtが、美術は不要になったということでは無くてその逆だと自分は思う。
とは言え、授業にはこの春に入学したばかり、高校を卒業したばかりの学生もいるということだったので、きっと自分のような人間にも殆ど出会ったことはないかもしれない。
今後の自分の将来を想像しつつ、自分の学びの方向性の参考にするための授業 ということなので、あまり話しを難しくしないようにと思いつつも、結局は自分が考えるArtという立ち位置からしか話すことは出来ない自分としては、そもそもArtは職業としての選択肢には入るようなものではないから…なんてこと言ってしまって、Art減少傾向をさらに加速させてしまったかもしれない。
自分は、いまの社会ではArtとDesignの境界線は以前にも増して曖昧になってきている…と感じている。
これは授業では話さなかったことだけれど、ようするに、この社会に於いては、ArtとDesignとの境界線はある意味、意図的に取り払われようとしているということでもあって、もう少し詳しくこれについて言うとすれば、それぞれが社会にとっての必要性として持っていたはすの本質が、資本主義経済の進化発展と共に拡大した商業主義によって絡めとられた結果がいま。それぞれが持つべき社会的役割が曖昧になると同時に、言葉は違っていても中身としては殆ど同じ、両者は一元化しつつある…ということだ。
これによって社会はどう変化しているのか。
問題は、Artか?Designか? では無くて、両者が社会の変化と共にどう変化しているのか ということではないだろうか。
あらためて、自分がそれについて…、ArtとDesignの境界線について考え始めたのはいつ頃のことだったかを思い出してみると、かつて自分の中に、自分にはArtは向いていないのかもしれない…という悶々とした気持ちが沸き起こっていることに気が付いたその頃からだったと思う。
ただ、それは明確な想いでもなく時期も定かではないけれど、それまで、Artしか見えていなかった自分に対して、嫌が応でも向き合わねばならない経済という問題がのし掛かってきたタイミングでもあって、このままではArtが嫌いになるかもしれないと思った自分は、それまで乗っていたArtという列車から飛び降りることしか思いつかなかった…というか、列車から振り落とされたというか…そこに現れた次の列車がDesignだったのだ。
当時、バブル経済は既に崩壊していたとは言え、逆に、生き残った企業や一部の業界は好調さを増していたような気もする。自分は、ファッション系ブランドの店舗だったり美容室だったり…、いわゆる商業空間をつくる現場へと立ち位置をほぼ完全にシフトさせていて、その頃にArtや美術のことを考えた記憶はまったくない。
今にして思えば、それが逆に良かったのかもしれない…。
のめりこみ易い性格もあってか、あの頃にとことんDeaignに嵌まり込んだことが結果、Designとは何かについて考えることが出来たわけだし、その流れの先で建築にも出会うことが出来た。
その後紆余曲折しつつ、いま自分は生まれ育った長野市に活動の拠点を置いてはいるけれど、
いまのところは此処にいるつもりでもある。
その理由はきっとここが「狭間」だから。
長野県全体の人口は急速に減り続けていて、市街地からほんの20~30分程度の山村でも空き家が増え続けていることが誰にでもわかるけれど、自分が暮らす市街地では高層マンションが次から次に計画され、急速な人口減少という現実は実感として感じ難い。
世間が新型コロナウィイスルに翻弄される中、都市圏から長野市やその周辺への移住者は明らかに増えていて、そうした話題には事欠かない…。
これが何を意味するのか。
自分はいまそのことに注目している。
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