「魂のなかのスターリン」

長野市の今日の日の出は4時25分、Rainが自分を叩いて起こそうとしていたのも多分その頃。何とか誤魔化しつつも、布団から出ない自分への攻撃、叩く、そわそわと頭の横で動き続ける、啼く…が次第に激しくなって、仕方なく起きると時計は5時20分を過ぎた頃だった。

散歩から戻って、昨夜読んでいた、ル=グウィンの「夜の言葉」を朝になってからまた読む。

アーシュラ・K・ル=グウィン Ursula K.Le Guin

その中の一編、魂の中のスターリン の中に、かつて彼女が一度だけ、自分の短編をU・K・ル=グウィンによって書かれたものとして雑誌に掲載された時のことが書かれている…。

>私のファーストネーム、言いかえれば私の性別は、発禁されてしまったのである。このたった一語とはいえ、意味深い一語を伏せたときだけが、私の作品に市場の検閲が直接及んだときである。ほかにも、わたしの作品には市場の検閲の影響がいくつか現れているが、直接的な検閲はこのときだけだと思う。

~略~

なぜあのとき、自分が裏切りを働いていると気づかなかったのだろうか。<

市場の検閲…そして自己検閲。

別の一節。

>芸術のただ “いかに” と なに“ だけを示してるうちは、楽観的にしろ切望的にしろ、つまらない娯楽にすぎない。 ”なぜ“を問うとき、芸術は情緒的反応からの真の主張、知的な倫理的選択へと上昇する。受身の条件反射でなく、ひとつの行為となる。<

“なぜ”を問うとき…..

昨夜、友人が取材されたリンク記事を読んだ。

彼の言葉の中に、彼が彼自身に向けた、“なぜ” という問いがあった。

https://www.nhk.or.jp/kumamoto/lreport/article/001/83/?fbclid=IwAR34xT64px5Fv0lNBoR7v1SikuU3fs4ILn5hFuGuBjWE-u6vEZckVGsGd-E

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