「美は真」

復興と言われてしまえば本当の心を言葉にできない空気

ふるさとは小分けにされて真っ黒な袋の中で燃やされるのを待つ

美と美化の違いを思いて美は真、美化は偽ることと覚えぬ

   ~ 三原由起子

自分の中の 何か が確実に変わってゆくという感覚がある。

考えてみれば、その感覚だけを頼りにこの世を生きてきたと言っても言い過ぎではない。

そんな感覚を覚える時の自分の外側には良いも悪いもあって、それが自分の中の何かに対して少なからず影響を及ぼしていることは否定しないまでも、人の意識とは、内が外を引き寄せる  と言うか…、自分が見ているこの現実とは、実のところ自分の内側に働く何らかのエネルギーが外側のエネルギーを引き寄せることによって、現実として認識しているのではないかと自分は思っている。

ようするに、現実とは生命の数の分だけあるということでもあって、私たちは自分が引き寄せることによって出来る現実の中を生きているのではないかということ。

別の言い方をすれば、現実とはこの世の生命の数と同じ数だけあるということ。

宇宙が広がり続けているというよりもむしろ、宇宙は一つではなく無限に存在するからこそ、広がり続けているように感じるのだと思う。

冒頭の三首は、2週間ほど前に福島を訪問した際に知った、歌人、三原由起子さんが詠んだ歌。

正直なことを言えば、震災から12年が経った今まで、自分は福島をどう捉えれば良いのか、自分の中に福島をどう位置付ければ良いのか判らないままだった。

人類にとって、とてつもなく大きな問題であるとは頭で理解しようとしてはいたものの、それというのは実は、自分の外側にある現実を眺めているだけで、外側の現実が自分を連れに来てくれるのをずっと待っているだけのようなものではなかったか…。

外にある一つの現実を直視するだけではその現実は自分にとっての現実にはならないのではないか…。

自分が生きようとする現実に福島をどう引き寄せるかは自分にとっての問題。

自分の外側の福島を゙眺めるだけの様…それを復興と言うのではないか。 

美と美化の違いを思いて美は真、美化は偽ることと覚えぬ

自分の眼前に広がる現実に、三原由起子の歌が響く。

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