「通過させる」

「通過させる」とは、その文字の並びから、通し、そして過ごさせる… になろうか。

通過だけでも意味は通じるけれど、それは言わば単語でしかない、というか、通過 が、させる となって言葉になるのだと思う。

「せる」「させる」は、日本語では使役の意味を表す、「使」させる、と、「役」仕事や行動、のこと。使役は、誰かに仕事をさせること。自分は、その、「させる」が気になっている。

2月からのGallery MAZEKOZE での企画展、「渡辺一枝とたぁくらたぁな仲間たち展」は、ようやく展示の構想が朧気ながら固まりつつあるといった状況で、日程を思えば多少の焦る気持ちはあるものの、一枝さんから頂いた今回の展示の要となる資料を読みながら、今回の展示は、作家・渡辺一枝という人物、そして雑誌・たぁくらたぁによって、「通過させる」そのことについての展示だということの明確さが増している。

というか…

一枝さんから頂いた資料を読みながら、自分自身がこのところずっとそれについて考えているのだということに改めて気付かされた言うべきかもしれない。

美術、あるいはArtにとって、「通過させる」とはいかなる意味を持つのか…。

2月からの企画展を最も楽しみにしているのは、間違いなく自分自身なのだと思う。

人間は言葉で考え、又、考えを伝える。

言葉を伝えるのではなく、心を伝える。

心を伝えようとする心が言葉を産んだ。

しかし、

心が通らねば、言葉は通らない。

野口整体の創始者 野口晴哉 のこの言葉と作家・渡辺一枝さんの生き様が自分の中で重なりあっている。

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