Gallery MAZEKOZEは、自分と妻が2009年から運営する基本的には企画展のみ開催のArt Gallery
持ち込まれた提案については、話しを聞いた上でGallery MAZEKOZEとして企画するかどうか決めることにしているのだけれど、ここ最近は以前にも増してArt傾向を高めたこともあってか、持ち込まれる展示相談はほぼ無くなっている。
こうした現況を踏まえ先ず初めに思うことは、長野市という県庁所在地であり人口もそこそこの地方都市に於いて、Artは如何なる必要性として認識されているのかということ。
Artは地方では売れない…という現実は否定できないまでも、それは何故か?ということについて、いま・ここ で考えることをつうじて、この世界がこれから先、歩みを進める方向について共に想像するきっかけとなるのではないか…。
Gallery MAZEKOZEという百葉箱をつうじて大都市依存のArtとは異なるArtというゲンショウを観察し続けたいと思っている。
自分が“いまここ ”に至る上でArtは極めて重要な位置にあることは言うまでも無く、妻との出会いもまたArtであったことからすれば、自分はコノヨトイウゲンショウ を、Artをつうじて認識していると言っても過言ではないし、単純に、Art馬鹿と言ってしまえばそれも間違いではない。
Gallery MAZEKOZEの企画展では、自分のわがまま…というか、自分に対する“課せ”というか、企画者の責任として、Artistを交えたトークを出来る限り開催することにしているが、先週土曜日には、現在開催中の「北山亨・ワタシトイウゲンショウ」展に合わせてのGalleryTalkを行った。
自分からして画家・北山亨はArtist以外の何者でもなく、自分がGalleryを運営している大きな理由は、彼のようなArtistがこれからもずっとArtistのままで居て欲しいと思うから。
それは、Gallery専属のArtistを見出したいということではなくて、この世界からArtistがいなくなってしまうという最悪の状態を想像出来てしまう現在だからこそ、北山亨のようなArtistにはArtistとしてこのまま、この世を生き抜いて貰いたいという自分のわがままでもある。
彼の作品をはじめて目にしたのは3年前。
自分が25年ぶりに展覧会という形で作品を制作する気になったGalleryと同じその場所で、自分の展示から2か月後に北山亨が展覧会を行った。
その時、自分が思ったことは、こんなにも純粋に向き合っていて彼は大丈夫なのか…だった。
そしてその後、いまから1年ほど前に、GalleryMAZEKOZEでの展示の打診を快く引き受けてくれた時、自分が思った心配は無用だったと安心したのだった。
それは、自分の中には彼に対する疑いというか、長く躁鬱という状態の中にあった彼が寛解したと言っているそのことに対する疑いが自分の中にあったということであり、とは言え、そう思ったからといって自分が彼に対して出来ることは、結局これしか…、展覧会をしてみないか?と問うてみることしかなかったのだが…
Artistとは、自らの内に生じる何かをArtをつうじて表すことでしか自分が自分であることを確かめられない生き方であるとも言える。
その意味からして、画家・北山亨は北山亨という自分自身を、天空の一点から只それだけを見ようとしているように感じる。
それも、ただぼんやりと見るという行為とは明らかに違う、自らの皮膚を剥ぎ、肉をそぎ取り、骨を砕いてまで北山亨とは何かを見ようとするかのような。
描かずにはいられないのはどうしてなのか…そのことを一番知りたがっているのは彼自身であって、彼の絵はそうやって彼から見えるワタシトイウゲンショウの現れなのだと思う。
展示された作品を見ながら、世間がイメージするArtistとは正に、画家・北山亨のようなArtistなのだろうな…と思うと同時に、自分は彼とは異なる位置に立っていて自分が見ようとしているものもまた違うことに気付く…。
自分が見たい、自分によって捉えたいと思っているのはコノヨトイウゲンショウであって、
そもそも自分は、ワタシトイウゲンショウはあるようでいて実は無いもの…。コノヨトイウゲンショウによってワタシトイウゲンショウは作り出されているだけなのではないかと思っている。
だから自分は、ワタシトイウゲンショウだと思っているその周りにあるコノヨトイウゲンショウが見たい、知りたい、感じたい。
ゲンショウとは関係性であり流れであって、姿形の無いもの。この世にとって変化しない確実なものは何一つないということの現れのこと。
そして最も不確実なワタシトイウゲンショウはコノヨトイウゲンショウを変化させる。
画家・北山亨の゙ワタシトイウゲンショウは自分を取り巻くコノヨトイウゲンショウの一つであり、画家・北山亨というゲンショウは絶えず変化を繰り返すことによって自分から見えるコノヨトイウゲンショウもまた変化する。
Artはワタシトイウゲンショウと共に常に変化する不確実性でありながらも、しかし、このArtの不確実性こそがこの世界を変化させる最も大きな可能性ではないのか。
Gallery MAZEKOZEはそんな不確実性を伴ったArtと変化成長する場であり続けたいと思っている。


コメントを残す