子供の頃から絵を描くことは好きだったし、もしかしてこれならいける!…と思ったものの、だからと言って大学に行ってまで絵が描きたいとは思っていなかった高校生だった自分は、最も合格率が低いという単純な理由から彫刻科を選びはしたものの、その最大の理由は、高校を卒業したら速攻で東京に行く!!という企み?からだった。
まぁ、その企みが成功したからこその現在ということではあるのだが…。
中学や高校の美術室とか美術部のイメージは、花や人の周りをイーゼルと椅子が取り囲み絵を描くといった感じか。
それが大学となれば、全部が美術室?で全員が美術部??なわけで、中・高でイメージするような美術室も幾つもあるのだけれど、そうしたイメージとは大きく異なるのが、工房とか作業場と呼ばれる場所の存在。
いわゆる美術部イメージの美術室が何となく性に合わなかった自分(同級生のあまりの絵の上手さに自分の力の無さに愕然として…)は、入学して間もない頃から、石を彫るために専用の作業場…石彫場に出入りするようになっていた。
いま自分は石を彫ることはほぼ無いけれど、自分にとっての美術の入り口は石彫であった…というか、むしろ、あの当時の石彫場という場所の存在が極めて大きかったのだと思う。
石を彫るには埃も出るし音も出る…それも相当量の。
そんな理由もあって、石彫場だけは彫刻研究室がある大学南側隅にある彫刻棟から離れ、大学の北の隅…体育間の裏側に置かれ、殆どの学生は立ち入らない、知られてもいない場所だった。…そんなことだから、治外法権とまでは言わないまでも、研究室の管理も緩い場所であったことから、彫刻学科以外の学生であっても、石を彫るという目的にそこを使用出来るという暗黙の了解?があったことに加え、石という素材が重量物でもあったこともあってか、お洒落な?美術大学イメージ??とは正反対の美大生らしからぬはみだし者が出入りしていた。
いまにして思えば、火を焚きまくり、歌いまくり、踊りまくり、飲みまくり…と、やりたい放題で、よくもまぁ、あんなことが大学内で許されたものだと呆れてしまうけれど、あの場所の出身者達もいまとなっては教授陣として学生の指導にあたっている者もいるのだから、まぁ、時代はこれほどにも変わってしまった…ということなのだろう。
で、自分は?と言えば、大学を出てからもあちらこちらの工房を行ったり来たりしながら、現在に至る。
考えてみれば、大学の石彫場にいたあの頃から、一年の内で自分が着ている服の大半は作業着だし、作業着では無かった服の殆ども作業着と化して行く始末。
そして何より、この人生の大半は作業場や工房の中に居ることを思えば、そんな自分が小洒落たカフェに居ても落ち着かないのは当然のことか。
…というか、自分が「場づくり」にこだわり続けるのは、大学生時代の大半の時間をすごした石彫場や、仲間と共に山奥の豚小屋を改装したアトリエや、鉄と錆の臭いと樹脂の臭いが入り混じる工房であったり…、作品やモノや形が出来上がってゆく過程、完成の手前にある場所で、仲間と一緒に話したり、笑ったり、考えたり…することが、この社会のことはもちろん、この世の理解を深めることに繋がっていると思うから。
自分たちのようなものづくりという生き方をする者たちにとって、ディテールや最終的な出来栄えが世間によって評価されるのは仕方ないとは言え、ものづくりに携わる者たち、それはArtistであっても、自らを成長させるための最も重要なもの、それは何かが生まれるその手前にある時間であり空間の存在だと思う。
昨年の秋。
縁があって、新たな作業場を借りることにした。
この作業場を借りたことによって、いままで資材置き場と化していたMAZEKOZEの1階の半分の荷物のすべてを移動させ、そのスペースをすべてCafé MAZEKOZEにした。
新しい工房・アトリエは、MAZEKOZEから西の山間に自動車で15分ほど行った川沿い。
ここを若手の建築家と二人でシェアして使い始めた。
今後は現在の二人のみならず、この工房での時間を如何にシェアしてゆくことが出来るかについて、ものづくりに興味ある人たちと一緒に考えながら場を成長させて行きたいと思っている。
興味ある方、ご連絡ください。


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