何気ない会話の中で、理系だとか文系だとかといった話しになることはよくあることだけれど、出会って間もない人同士が、ここをきっかけに会話し始めることは悪いことだとは思っていない。
明らかに理系ではないし、そうかと言って文系であるとも言えない、“みそっかす”のような自分からすれば、理系であれ文系であれ、そのどちらもがこの社会を形成する主流(マジョリティー:多数派)であって、これに対する反主流(マイノリティー:少数派)であることを確認するようなもの。
とは言え、そもそも文系と理系…といった分類は、日本の教育制度ゆえつくられた概念であるものの、そんな概念が社会に深く浸透しているその様を見聞きする度に、教育が制度化されることによる最大効果は実はここなのかもな…と思う。
ようするに、学力・知能・能力を基に細かく分類することによって国民国家としての秩序、国民であるという意識が形成されるということであって、単に理系であるとか文系であるとか以上の、この社会の根幹にも通じる最重要性を含んでいるのかもしれない…と。
いまだRockでpunkでありたいと思っているような自分は、現状の国家の在り方、政治的権威や権力構造の在り方に !!!FUCK YOU!!!
でも、だからと言って、国家や宗教、一切の政治的権威と権力を否定するだけでこの社会が良くなるとはまったく思えない。
国家も宗教も所詮、人間が作り出した幻想。たとえその幻想を消し去ったとしても、人間は必ず別の幻想をつくり出す…それは何故か。そんな認識からしても自分はアナーキストでは無いし、そもそも問題の本質はそこではないのだ。
制度化された社会の在り方に対して何ら疑問を抱かないまま、興味関心の矛先はひたすら自分へと向かわせるそのいっぽうで、権威だの権力だのは制度をより強固なものへと作り変える社会…
結局のところ、教育をはじめとするあらゆる制度は、日本という縦割型社会を構築する為の篩(ふるい)になってしまっていると同時に、制度の名の下に行われる数々の振り分けの先には安心と安定があって、そうしたものの蓄積積こそが、既存日本社会にとって極めて重要な役割を担っていると思わざるを得ない。
数学が得意だから理系、だから工学部…という選択を間違いだとは言えない。
建築家になろうとするのであれば、先ずは数学をはじめとする理系科目を重視する試験制度に対応出来るだけの学力が必要とされるし、現代建築の大半が数値に裏付けされた安全基準に準じていることは無視できない。
でもしかし、そういった現実は否定出来ないまでも、それは単に既存現代社会に於ける制度上の必要性であり、この社会によってつくりあげられた概念から生じているものだ。
自分は、ふと気が付けば、Artと建築の狭間…というか、切り立った山の稜線のような境界線上をよろよろと歩んでしまっていた…。
足を踏み外し、稜線のどちら側に落ちたとしても、無傷では済まないのだろうな…、というか、この狭間だけがこの世で何とか自分が生きれる場所であるとするならば、せめてここから自分が眺める景色についてぐらいは人に知らせたいと思う…。
半年ほど前?
このままじゃいかん!…と突然思い立ち、絵描きのポヨコちゃんにTシャツに使う絵を描いて欲しい…とお願いしたままだったその絵を
佐渡島から帰ったらTシャツにしよう!と思っていたそれが出来あがってきた。
ポヨコちゃんには今年11月にGalleryMAZEKOZEで展覧会をお願いしていることもあって、早々、出来上がったTシャツを見て貰いつつ、展覧会のことや近況について相談というか雑談。
ここ最近は、何につけてもスマートさだとか“軽さ”が求められていて、重いものはとかく敬遠されてしまう傾向が否めないね…。
社会問題は当然のこと、深く物事を掘り下げて考えさせられるような話しは出来る限り避けないと…
もう、十分おじさんなんだから、話しは説教臭くならないように気を付けないと嫌われるな…。
ポヨコ:「軽く… って、ほんと難しいですよね…」
俺:「そうする気も無いし、だったらArtなんかやってないな…」
I’m gonna do it!
絶対!やったる!!
RIKI-TRIBAL S.A.W + POYOKO Tシャツ、販売始めました。
基本受注生産販売ですが、現在、少しだけ在庫あります。
各¥4,500
・ネイビーMサイズ×2枚
・ネイビーLサイズ×1枚
・カーキーMサイズ2枚
・カーキーLサイズ1枚



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