家族で旅行に行くということはまったく無かった幼少から子供時代。夏休みの何日か…お盆前からの数日間は、母の生家である山村の祖父母が暮らす家に泊まりに出かけていた。
この時期になると思い出すのは、その祖父母の家の裏から森へと続く細い道のこと。
陽に照らされた明るい手前側から見た森の入り口の先に、薄暗く、黒く暗い森への奥へと続く細い道があった。いまから既に半世紀以上前の、その細道に一歩足を踏み入れた瞬間に感じた感覚をいまもずっと覚えている。
陰と陽…と言ってしまえばそれだけのことなのかもしれない…。
でもしかし、あの感覚がいまも自分がこの世を生きる上での重要な道標となっていると同時に、きっと自分がArtに、美術に至ることになったのも、あの時のあの感覚に対する気付きがあったからであったような気がしている。
小学生の頃から“社会科小僧”だった自分にとって、地図帖と歴史年表は森の入り口に等しいものだった。入り口の先には幾つもの道があって、地図帖からでも歴史年表からでも、その道の奥へと進むことが出来る気がしていた。
それは今も変わらず…というか、気になる物事はそう考えるのが半ば癖になってしまっているようで、平面上の広がりや関係性である地図や地形といったものと時間的連なりである歴史を重ね合わせることによって現れる時空…それは単に縦・横・高さを掛け合わせた体積とは異なる空間。自分はそれが「場」だと考えている。
日本では終戦の日とされている8月15日、「大日向村の46年 満州移民 その後の々」というドキュメンタリー映像を上映ぎりぎりの最終日に観に行けた。
タイトルにもあるとおり、満州移民のその後とはかつてのこの国が参戦したあの太平洋戦争のその後のドキュメンタリー。
上映最終日でもあったし、座席をざっと見渡せばそれなりの人が観に来ていたようだったけれど、内容もあってか、予想通り…観に来ていた人たちの中で自分と妻はほぼ最年少であったと思う。そうした状況に何とも言えない気持ちを持ちながらも、このタイミングで自分が(妻も一緒に)このドキュメンタリーを観れたことは色々な意味でとても良かったと思っている。
自分の子供時代、プラモデル全盛期?と言っても良いほど、特に男の子にとってはプラモデルが人気で、しかもその時代は戦争物が一番人気というか、ほぼ戦争物一色。主流は第二次世界大戦での各国の軍隊の装備である戦艦や戦車、戦闘機が主流だった。
少年漫画にも戦争物が数多くあったし、戦争系のみならず、スポーツ系であっても、乗り物系であっても、一度は負けはしたもののそこから這い上がって行く…といったコンセプトが実に多かった気がする。
考えてみればその時代は、日本が高度経済成長期に突入し始めた真っ只中で、時代の空気感からすれば、60年・70年 安保闘争や学生運動による混乱期が終わり、日本がようやく敗戦という呪縛から抜け出ることが出来たという雰囲気に満ちていたのだけれど、言葉を変えて言えば、子供に対するそうしたことももまた、日本人が抱え持っていた敗戦というイメージを一新するための一大キャンペーンの中の一つであったのかもしれない…。
重要なことは、そうした社会全体に対して行われたキャンペーンによって、変わったと思い込まされてしまっているだけであって、実際に起こったことはけっして無くなりはしないし、事実は事実としてあり続けるということ。
しかしながら、ネガティブな思考をなるべく遠避けようとするのが人間の心理としてあることもまた事実であって、だからこそ、私たち誰しもがそうした心理を持ち合わせているのだというということを如何に認識するかが極めて重要なことであるはずだ。
お金が無ければ何も出来ない…電気が無ければ困る…
この社会に生きる以上、誰であってもそうだとしても、だからと言って過去の事実を歪めたり、あわよくば無かったことにしてしまうことによって、いまを正当化すれば必ずやまた人間は同じ過ちを繰り返す。
とは言え、社会に張り巡らされたイケイケを煽る一大キャンペーンはもはや増殖の一途にあり、止まる気配はまったくない…。
中山間地が多く、1戸当たりの耕地面積が狭い長野県の多くの山村では、桑を植えて集約的に養蚕を行うことが進められてきたものの、 世界恐慌の影響を受け、繭糸価格が1/3以下にまで落ち込んだことことによって、養蚕農家のみならず蚕糸企業も相次ぎ倒産するなど、長野県経済に未曾有の大打撃を与えていた。
1930年代、国は侵略した中国東北部・満州に、武装移民を「満蒙開拓」と称し送り込み集団移転を行わせるという国策を決定。既に経済困窮が著しかった長野県はこの国策に応え、軍と県・市町村・教育機関等が一体となって全国で1位の移民を送り出した。
しかし、終戦末期、満州に進駐していた関東軍は満州開拓移民を置き去りにし、さらにソ連の参戦によって、移民の半数以上が二度と日本の土を踏むことはできなかった。
なぜ、長野県は国策に同調し、しかも、全国1位(長野県3万7千人、2位山形県・1万7千人)となったのか…。
「平面上の広がりや関係性である地図や地形といったものと時間的連なりである歴史を重ね合わせることによって現れる時空…それは単に縦・横・高さを掛け合わせた体積とは異なる空間。自分はそれが「場」だと考えている。」
そうであるとするならば、自分はどういった「場」をつくるべきなのか。
「Café&Gallery MAZEKOZE」はそういった場となり得るのか…。
いまのままでは何かが足りない…
昨日、現在開催中の、越後妻有トリエンナーレ・大地の芸術祭で公開されている、Ann Hamiltonが2012年に制作した 「金属職人の家」 という作品を観た…というか体験した。
久しぶりに…本当に随分と久しぶりに、魂と同調する作品と出会えた気がじた。
正直、いまの自分はまったく敵わないな… と思うと同時に、自分のなかで悶々としていた何かがはじけたような気がした。
いま、気分はとても晴れやかだ。
そう、Artに出来ることはまだまだある。
明るさと暗さがあるからこそのこの世。
私たち誰しもがこの世の一部分であって、その一部分がこの世の全体を形づくっている。

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