先代の犬が病気で亡くなって半年が過ぎた頃から一緒に暮らし始めた保護犬のRainは当時推定5歳…だったので、いま推定7歳。
数日前、いつもなら夜明けと共に起こしに来るはずなのに、まるくなったまま。どうも様子が変だな…と病院へ。
前立腺内に炎症が起こっていて、少し熱も高い。加えて、前立腺が肥大していることもあって、何らかが理由で炎症など起こると前立腺が尿管を圧迫し、排尿が出来なくなって最悪の場合は死に至るとのこと。対応策としては、投薬によって炎症が収まった後に去勢を勧められた。
統計によるとオス犬の9割以上は高齢になると前立腺が肥大し、それによって病気のリスクが上昇する。
我が家の先代の保護犬だったピスは生後間もなくして去勢していたものの、9歳になって癌で亡くなってしまったこともあって、去勢が理由では無かったとは言え、何となく去勢に躊躇してしまっていた自分。でもこの先、出来る限り長くRainと一緒に暮らしてゆくために去勢手術はするつもり。手術は全身麻酔を使用するとのことなので、そのリスクを考慮すれば7歳はギリギリのタイミングだそうだ…。
保護犬の多くが、生まれたものの飼えなくなって放棄される例が後を絶たないのは事実であって、、殺処分という最悪の状態を減らすためにも去勢する…という理由は間違っているとは思っていないし、十分に納得している。
しかしそれと言うのは、犬や猫は誰であってもお金を出しさえすれば買うことが出来るといった現実があるからであり、そうした現実の中、犬や猫の命が必要であるか必要でないかを、人間の都合によって決めているということだ…。
行政からすれば、放棄された犬や猫に対して、何らかの対応を講じなければならないだろうし、この流れの中で「殺処分」という方法が選択されてしまっていることについて考えれば、それは行政が行っているということでは無く、殺処分を選択しているのは、この社会に生きる私たち人間であるということを忘れてはならないはずだ。
人間中心の社会構造とは、声の大きい者たちが声の小さな者たち、声(言葉)を持たないものたちを支配する構造であるとも言える…。
言い換えればそれは、支配者の都合優先の社会構造であり、犬や猫といったいわゆるペットと呼ばれる動物たちに対して私たち誰しもが支配者に成り得ているということでもある。
人間も動物であることは誰もが理解しているはずとは言え、この社会における人間の命に対する理解とは正に、本音と建て前…。命の捉え方からすれば、この世の中心には人間があって、すべてこの世は人間を中心に回っているというと言う考え方が未だ優勢なのだ…。
小池さんは「犬派」だね…と言われることは多いけれど、別に派閥に属しているつもりもない。出来れば猫も一緒に…とは思ってはいるけれど、いまは犬と暮しているというだけのこと。
Rainは家族であり相棒のような存在だと思ってはいるけれど、何より、声(言葉)を持たないものと共に生きることをつうじて気付かされること、少なくとも、人間中心過ぎるいま を感じさせてくれる存在が身近にいてくれることに感謝している。
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