美術家としてこの一生を生き続けたいと思う自分に対してArtや美術は様々な影響をもたらしているけれど、だからと言って自分は、Artや美術を好きとか嫌いとかで捉えていないしArtや美術が目的であるとは思っていない。
現在、Gallery MAZEKOZEで開催中の「劉建国の仕事」展には、自分のそういった思考性が強く表れ過ぎてしまっているかもな…ということ。
Gallery&Café MAZEKOZEの1階の一角では主にcraft関連の展示と販売を行っていて、現在は、イット窯・若林奈央子さんの展示販売もしているので、それぞれの陶器の違いも感じて貰えたら…と思ってはいるけれど、そのあまりの違いからか?、2階・Galleryでの展示作品は未だ一つも売れていないし、正直言って、展覧会の反応も良いとは言えない…。
この展覧会は、「劉建国の仕事」とタイトルし、劉建国氏の作品とその仕事について展示していて、陶器が多数展示され、さらにそれらには値段も記載されていることもあってか、中国の陶芸家の作品展という様相が強い。
確かに、それはそれで間違いではないし、画家・篆刻家・民芸研究家である劉氏は近年(20019年~現在)、生まれ故郷である中国甘粛省で、既に消滅してしまっていた安口窯という古くからこの地にあった陶器づくりを復興をさせるべく陶芸という仕事に取り組んでいる。
ただ今回、自分が彼の仕事と出会い、その仕事について展示してみたいと思ったのは、単にその陶器を観て欲しいと思ったからだけでなく、いま、この時代において(経済発展、経済成長目覚ましい現代中国の背景と世界との関係性からして…)、劉建国というArtistの仕事、思考性には、そもそも、創造とは何か?…、創造は何故?何のために行なわれるのか?…という問いかけが多分に含まれていると自分が強く感じたことに始まり、それはまた、自分にとっての重要な課題である「場所と空間」との関係性に深く関連していると感じたから。
劉建国氏の思索に対して、いま自分が出来得る返答が今回の展覧会であると思っている。
そういった意味からすれば…、言わばこの展覧会とは劉建国氏と自分との間で交わされた最初の会話でもあって、そのやり取りがインスタレーションとして展示されていると言っても良いのかもしれない。
自分は劉建国は陶芸家であると思っていないし、彼の仕事をつうじて、Artとは、Artistとは何であるのかについて、あらためて深く考えるきっかけとなってはいるけれど、おそらく、展覧会を観る人からすれば、そういったことを感じ取るには少々説明不足だったかもしれない…。
GalleryMAZEKOZEは、自分と妻による…RIKI-TRIBALが運営するギャラリーであり、企画展のみ開催のGalleryであることからすれば、ここで開催する展覧会という場づくりには、少なくとも自分たちの意思が含まれているということでもあって、自分たち側からすれば、作家の仕事をつうじて自分たちの意思を同時に表現しているとも言える。
もちろんのこと、展覧会をお願いする作家は、私たちの意思を作品に反映する必要性は無いけれど、私たちGalleryには、何故?この作家の展覧会を開催するのかに於いては明確な理由があって当然、展覧会を開催するからには責任が生じていることからすれば、展覧会を開催するにあたって自分たちは、作家の作品のみならず作品がつくられる背景も
知る必要もある。
ただ、そういった背景をGalleryとしてどのくらい、どこまで伝えるかの判断は慎重になる…というか、ネットをつうじて膨大な情報を簡単に得ることが出来てしまう現在、行き過ぎた情報はArtがArtであるために重要な本質を歪めてしまい兼ねないと思っている。
「Artは解らない…」「Artは難しい…」
と言われたり、そういった話しを聞くことは、Galleryを運営していれば数多くあることだけれど、それは、Artの側(ArtistやGallery側)からの情報不足が原因ということでは無くて、そもそも、Artには答えがあって、その答えや意味を解ろうとするからこそ、そういった言葉が交わされるのではないか?
そうした方向に仕向けることによってArtはどう変化するのか?
Artを解らないもの、難しいものにしてしまっている理由は簡単ではないけれど、少なくとも評価重視(=経済重視)のこの社会において、Artの多くも既に評価を得ることそれ自体が目的となってしまっていること、そことの関係は否めないだろう。
評価には一定の基準が必要で、そうした評価基準を知らなければArtを理解することが出来ない…というロジックの中にArtが封じ込められてしまっている以上、Artが解らない、Artは難しいのも当然だと思う…。
そうした現実の中、Gallery MAZEKOZEが公共ではない私設のギャラリーであるとは言え、ここもまた社会へと通じている場所であることに違いはない。
展覧会を主催するGalleryは、作家の作品性を伝えるという目的性のみならず、社会の中にGalleryという場が置かれる意味、その必要性について常に考えなければならないし、展覧会をつうじて社会へと問う必要性があると思う。
そうして育まれる時間の蓄積が文化へと通じるのだとすれば、文化には、運動(力・行為)と場所との相互依存的な関係が必要で、作家とGalleryの関係とはそうした関係にあるのだと思う。
別の言い方をすれば、作家の作品が展示されるだけでは文化は育まれないということでもある。
今回の展覧会に際して用意したチラシの裏面に、この展覧会を開催するにあたって自分が書いた文章を載せている。その文章の最後…
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人間の経験と創造性こそが、いま世界が直面している紛争や分断に対する唯一の解決策となるであろうことを、私は確信している。
Gallery MAZEKOZE代表
美術家 小池雅久
「劉建国の仕事」
2024年9月14日(土)~10月12日(土)
12時~17時(日・月 休み)

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