真っ黒な闇のような不安の箱

Gallery MAZEKOZEで11月の一か月間開催した展示は、“ポヨコ・竹節裕子 展” だったのだけれど、先月は何かと慌ただしく、展覧会について何も書くことが出来ないままだった。

慌ただしさが増すと一段と文字を書くことが多くなる(殆どはバソコンに向かって)。考えてみればそれは思考の整理…というよりは、現実からの逃避行動に近いけれど、スケジュール帖に予定を書き込むこともないし、そもそもスケジュール帖は持っていないし、パソコンやスマホに予定を書き入れることもほぼ無いけれど、スケジュールは基本的に記憶の範囲内のみ…というのは、自分にとっての何らかの保護回路機能であって、思考の言語化も自分にとっての美術もArtも同じなのだと思う。

そうやって、投稿には至らない途切れ途切れの思考の断片が、片付けもしないままパソコンの中に溜まってしまっている。

「ずっと安心したかった。不安になると身を固くして自分の中に閉じこもるのが癖でした。」

…という書き出しで始まる、“ポヨコ・竹節裕子の今回(GalleryMAZEKOZEでの11月の展覧会)における作家ステートメント。

ステートメントに記されているそのことがポヨコ・竹節裕子(ポヨちゃん)の心の内側にあった本当だとしても、展示されている作品は彼女の内側から外側へと向かって解き放たれた感情…というか、かつてあったであろう不安の感情はただそこに痕跡としてあるだけのような気がした。

作品とは観る人それぞれが、それぞれのページを捲るための合図…。

自分は、Artの成立にとっての重要性とは正にこの部分にこそあると思っているので、そういった意味からしても今回のポヨコ・竹節裕子の展示は実に楽しい、自分が感じたいように感じればいいと思える展示であったと思う。

自分はいつの頃からか…、不安というものをあまり感じなくなった。それに比例するのかのように、自分には安心という概念そのものを欲する気持ちが薄い…。

そうなった理由はさておき、そんな自分なので、ポヨちゃんがステートメントに記した感情に対して同調するとは言えないけれど、不安という感情とArtの多くが隣り合わせにあることは、自分にとって重要な問題でもあるし、今回の展覧会をつうじて、あらためて自分が不安をどう捉えているのかについて感じ、考えることが出来たことに感謝している。

不安という感情は自分の内側から生じるものだ。

しかし、その多くは恐怖という感情と何らかに関係しているがゆえ、不安を呼び起こすその本質に近付くことは難しい…。

だからこそ、不安は自らの内側で増大と循環を繰り返し、結果、身体と精神を硬直させ動けなくする…。

不安も恐怖も身体を硬直させるという点では似た性質を有しているけれど、不安という感情が自分の内側から生じる感情であることに対して、恐怖という感情は自分の外側によって引き起こされる力から生じるものであるところに大きな違いがある。

恐怖は外側にあることからして、自分以外の人でも感じることが出来るし、それを取り除くことが簡単とは言えないとしても、人が協力して無くす方向へと向けることが出来る。

それに比較すれば、不安は自分以外の人からは捉え難くい。

その意味からすれば、そもそも自分の内側から自然と不安が沸き起こるのでは無く、外側と内側との間に何らかの滞りがあって、その滞りが不安を生じさせるとも考えることが出来る。その滞りを招くものがあるとしたら、それとはいったい何か? 滞りを取り除くために何が必要であるのかについて、展示が終わったいまもずっと考え続けている。

ポヨコ・竹節裕子は、ステートメントの中でこう続けている。

「覚悟は思いのほか難しくて、怖くて、ポジティブに変換できなくて失敗でした。」

「繰り返すその失敗は、いつもの思い込みが引き寄せた私の全体の一部でした。」

この部分を読んで自分の中に思い浮かんだのは、最近になって偶然知った、Chatter(チャッター)という用語。

人は多かれ少なかれ、自分自身の思考や感情へ積極的に注意を向ける内省をつうじて、問題の解決を図ったり、想像したり、次へと向かって進むことが可能になる。

しかしそうしたいっぽう、上手くいかなかったことを悔やんでばかりいたり、苦しさや辛さを強く感じているといった状態にある時の内省は、返って判断能力を低下させたり、人間関係に悪影響を及ぼしたり、精神や体調悪化に繋がりやすくなる傾向が強い。

そういった際に頭の中で繰り返される独り言がchatterであると言えるのだとして、

頭の中で繰り返されるネガティブな思考と感情がループする状態からいったいどうやったら脱することが出来るのか…。

繰り返す失敗が彼女の全体の一部であったとして、その全体には他の一部があって、その一部を知るために彼女は、真っ黒な闇のような不安の箱に風穴を開ける。

真っ黒な闇のような箱の中に封じ込めたはずの不安が飛び出してくるかもしれないという不安を感じながら…。

その時、彼女はおそらく、内側と外側との間に、本当は壁も境界も無いことに気付いたのだと思う。

その彼女が開けた風穴こそが、いまの彼女のArtそのものなのかもしれない。

人はそうやって自分の外の世界を知るしかないのだと思った…。

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