コミュニティ大工という場づくりのかたち」
気が付けば、1年の内で自分が最も嫌いな時期に突入してしまった。
急かされることが好きな人などいないとは思うけれど、自分は何よりも急かされるのが病的に嫌い。
出来ることなら、ここから松の内が開けるあたりまでは冬眠していたい。
…と言いながらも、このところ、叔父が亡くなったこともあって、普段から何となく考えてはいたものの先送りにしていた諸々について考えたり…。
そもそも、自分に先?なんてものがどのくらいあるかすら解らないのに、先送りなどしていられないと思いながら…。
まぁ、随分と歳は重ねてしまったな…とは思うけれど、とりあえずいまのところは、致命的な身体の不調も無く、体力的な衰えもさほど感じていないのであれば、そんないまの内に、ともかく、やろうと思ったことは先送りにしないようにしよう!
そんな現在、
幾つかの新たな「場づくり」を始めようと思っている。
幾つかの構想…をどう始めるか?についてはもう少し考えなければならないけれど、そのどれもが突然の思い付きでは無くて、今までの場づくりも全て、その幾つかへと繋がるためにしてきたとも言えるので、次に繋ぐタイミングが訪れたという感じか。
これまでの場づくりをつうじて、漠然と、しかし、いつも頭の何処かにあったのは、「学び合うための場」をつくること。
25年前(1999年~2012年)に、当時暮らしていた東京都国立市で始めたPlanterCottageも、Gallery&Café MAZEKOZE(2009年~現在)も、見え方に違いはあるにしても、様々なことをしながらも、互いが学び合える場をつくる というイメージは常に持ち続けてきたつもり。
それを「学校」になぞらえて考えてみたこともあったけれど、最近になって、それは学校とは違うものではないか?と思うようになって…。
自分が思うに、“人にとっての学びに対する欲求”とは、いつか何かに役立つから学んでおくもの では無くて、例えば…喉がカラカラで水が飲みたいと全身が欲しているから生じる衝動のようなものではないか…と。
いまある学びを否定こそしないし、自分ごときにそんなことは出来ないけれど、でも、しかし、学びを欲する気持ちが無いのに学ばされることは苦痛でしかないのではないか…と思ってしまう自分がある。
急かされるのが何よりも嫌い…な自分が、自分のわがままを突きとおすためには就職など出来るはずもない…と考えてしまっていたこともあって、ここに至るまでには、自分が出来ることを何でもするしか無かったのだけれど、自分に出来ることは何でも…とは言え、自分に出来ることは極めて限られていたと思う。
そんな自分にとって、いまもずっと自分と社会との接点として中心にあるのが、
「自分でつくること」だった。
金もない、経験もない、技術もない…のに、急かされるのが嫌い、人に教わるのも苦手だった自分は、結局のところ、自己流でつくるしかなかったのだけれど、そのおかげか?“これはこうやってつくらなければならない”という既成概念に縛られることなく、自分勝手に自己流を付きとおしながらつくってこれたことだけは幸せなことだったと思う。
勿論、そうは言っても、まったく人から教えて貰わなかったわけではない。
自分がどうしても知りたいこと、どうしても学びたいことがある時は、自分が知っていること、自分が持てる経験と交換することをつうじて学んで来た…。
そういった経験が、自分は関係によって生かされている と言うことに気付かせてくれたのであって、そんな自分のこれまでのハチャメチャを思い出しつつ、「自分でつくる」ための場をつくることが出来ないだろうか?…と、これまでずっと考えて続けてきたのだ。
そんなことで、自分がいままでつくってきた場と次の場を繋ぐための重要な要素。
それが、「コミュニティ大工」という考え方。
ある日、自分がこれまで漠然と持っていたイメージに近いことしている人がいますりよ!
…と、教えてくれたのが、日頃から大変お世話になっている、ヒカリハイツ、ツルーガのオーナーでもあるアドイシグロの石黒社長。
石黒さんをつうじて教えて貰ったこの考え方を、ここ、長野市にどう繋げるかはこれから。
自分のこれまでの経験によってたどり着いた「自分でつくるための場」がコミュニティ大工というネーミングになるかどうか、いまは未だわからないけれど、こういった働き方があることによって、もしかすると、あきらめかけていた「つくりたい…」を実現することが出来るのかもしれない…。
そしてそれが、これまでずっと考え続けてきた「学び合える場」につうじる可能性があるのではないかと思っている。
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