先ずはお知らせ。
現在、Gallery MAZEKOZE(2階)では“四辻藍美アイヌ刺繍展”、Café MAZEKOZE(1階)では、mosaic-storyさんのモザイク展を開催中で、どちらも27日(金)まで。
これと同時に今年のMAZEKOZEの営業も終了させて頂きます。
来年1月の営業は1月10日(金)からとなります。
1月のCafé MAZEKOZE(1階)Table Galleryは、「アダム・スミス陶器展」
Gallery MAZEKOZE(2階)では、
私たち…RIKI-TRIBALのこれまでを振り返りつつ今後に向けて、個人的に所蔵しているArt作品の展示&自分の古い作品や文章、その他・私たちの記録などの展示をしようと思ってはいますが、いまのところ、詳細については何も決まっていません(笑)
…という相変わらずの行き当たりばったりの自分ですが、
今年はどうもありがとう&これからもよろしくです。
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先日、アートとソーシャル発信拠点「ラボラトリオ ツルーガ」で毎月開催しているの映画上映会で、
身の丈の暮らしをテーマにした、「simplife」というロードムービーを観た。
アメリカ西海岸周辺の「タイニーハウス・ムーブメント」のパイオニアたちを訪ね、小さな暮らしや多様なライフスタイル、コミュニティとの共生などをテーマにしたこの映画。初公開は2017年。
その頃、自分の近くでもタイニーハウスやモバイルハウスといった発想を持って実際につくって暮らしている人もいたし、この映画を制作した彼らのことも何となくの繋がりもあったので気にはしていたもののの、タイミングが合わずに見逃してしまっていた。
でも逆に、“いま”になって、このロードムービーを観れたことはとても良かったと思っている。
それと言うのはようするに、既にこうした動きは最先端のムーブメントというわけではない…ということでもあって、社会はこのたった7~8年の間に大きく変わってしまっているということ。
自分の意識もまた社会との関係の中で何らかに変化しているであろうことについて考えるための、とても良い機会であったということでもある。
2017年頃と言えば、東日本大震災が発生してから5~6年が経った頃。
震災以降…、とりわけ、福島第一原発の事故もあったことによって、“暮らしについて考え直そう” とった動きがあちこちに見受けられてはいたものの、そうしたいっぽう、たった5~6年という短期間とは言え、震災発生から数年、徐々に震災が過去の出来事へと変わり始めた最初のタイミングだった気がする。
その頃の自分は、福島県大熊町から長野県白馬村へと長女を連れて非難生活をしながら、津波で行方不明のままだった次女・汐凪ちゃんの捜索を続けていた木村紀夫さんとの出会もあって、そうした社会の変化が気になっていた…というか、敏感になっていて、“いまの暮らしについて考え直す”必要性は強く感じていたものの、正直なことを言えば、その頃の自分は、タイニーハウスやモバイルハウスという発想や、「simplife」という身の丈の暮らしの在り方を否定しないまでも、そういったムーブメントと呼ばれてしまう状況と自分の間に何となくズレを感じていた。
そのズレとはいったい何であったのか…。
時代は常に変化し続けていることを頭では理解出来るにしても、社会の変化が自分に対してどう影響を及ぼしているのかについて、自分自身が自覚することはとても難しい。
関係性とは正に社会そのもの。この世に生きるものはすべて皆、そうした目に見えない社会との間にある関係性によって生かされているのだけれど、その関係性のすべてを自らが自覚して築いているのではない。
私たちの感情の動きにしても、それは自分自身の中で勝手に生じるのでは無くて、自覚的あるいは無自覚的に、関係性から生じているのであると同時に関係性とは時間を超越するものであって、だからこそ私たちは思い出や想いを生きるエネルギーへと変化しながら生きることが出来ているのだと思う。
そうしたことから考えて、例えば…、自分が、いまこのタイミングで「simplife」というロードムービーを観たこと、そしてそれをつうじて感じたこととは、いまから7~8年前に自分が社会とどう関係していたのかということをそこに見ることが出来たということ。
自分は、関係性とは常に全方向性を持った時間軸の中にあって、その関係性がこの世の全体でもある網の目を紡いでいるのだと理解している…。
私たちが日常で感じる疑問やズレ…。
その大きさはや質は様々あるにしても、それは必ず、自分と社会との関係性を伴っている。
ここで大切なことは、好きだとか嫌いとか、流行っているとかどうか…ではなく、そこにどういった関係性が生じているのかであって、その関係性の理解こそがこの先の未来をつくるために最も重要なのだ。
…と言ったことからして、自分はSimplifeというロードムービーに新しさとかを感じるようなことは何も無かったけれど、唯一、自分にとっての神様的存在の一人、 Lloyd Kahn(ロイド・カーン)がほんの少しだけ登場していたことだけは個人的には超注目に値した。
時代がどう変化しようと、人間にとって家とは何か?…House は只のフレームであって、HOMEであることこそが重要だと語るLloyd Kahnは、そのことを生涯に渡って考え続け、答えを示すのでは無く、人それぞれがそれについて考える必要がある…と言う。
そうした彼の哲学が、こういった形で次世代へと語り継がれてゆくことは何とも嬉しいことだと思ったひと時だった。
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