信濃川水系犀川の支流 裾花川が善光寺平にそそぎ出る直前…旭山の硬い岩盤にあたった水の流れは深い淀みをつくる。
この淀みに流れ込む水の流れが竜の動きの様でもあるからか、何処か別の世界へと繋がっているような想像を掻き立てるような此処を、人々はいつからか竜宮淵と呼び、近くの高台に水神社を祀るようになったのだろう。
昭和初期までこのあたりには、水車を動力とする商売を営む水車小屋が幾つかあったそうで、小麦や蕎麦を挽いた粉や、菜種や荏胡麻を絞った油は、主に善光寺門前あたりの商店で売られていたのだという。
山と町の狭間にあるここ…竜宮淵に生まれ育った。
感性の育みと育つ場所の間に重要な関係性があることを疑う余地はないけれど、自分という人格は、この狭間、川の淀みの淵に生まれ育ったことと大きく関係していることはどうやら間違いなさそうだ。
長く暮らした東京から長野に戻り、いまは善光寺にほど近い門前の町で暮らしてはいるものの、私のどこか奥底には、門前町の住人に成りきれない何かがあるような気がしてならない。
それは龍宮淵に棲む大蛇の意志 と言ってしまうのは少々格好つけすぎか。
先日、美学創造舎マゼコゼで、
「生命」「美しさ」についてを共に考え、共につくるためのワークショップとして、第1回「火の哲学~火の力」を行った。
このワークショップはシリーズで行うことにしている。
第2回は、22日(火)10時~15時「火と暮らし~木を燃やす」
『美学創造舎マゼコゼ』の活動を本格的にスタートする為に、いままで物置状態だった部屋を片付けた。
既に先月から、絵かきの小林ののこさん主催の「造形教室つちくれ」が始まっている。
私がここでワークショップを行うのは始めて。
今まで東京に暮らしている頃から、全国あちこちでワークショップを行ってきたものの、自分の地元ではあってもなんとなく長野にはアウェー感を感じていた。
そんな自分もようやく長野に暮らしているのだという実感が湧いてきたのは、一年ほど前からか。
きっかけは、山に暮らす友人たちに巡りあえたことであるような気がする。
東京から長野に戻ろうと決意した時、私の視線の先には山があった。
かつて山に背中を向けて東京を目指した私。
振り向けばすぐそこに山がある。
いま私の長野での活動の大半は町と山の狭間
まち暮らしでもない…山暮らしでもない…。
龍宮淵の底で繋がっている未来を想像できそうな気がしてきた。
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