「一つの生命」

長野県北安長曇郡白馬村 落倉高原にある「深山の雪」での
[team汐笑]2014夏プロジェクトが終了した。
3.11。私はこの事実と如何に関係するのか…。
「深山の雪」が私に感じさせてくれることはとても大きい。
どちらが助けるとか助けられるとかではない。
既に木村さんは私の友人だ。
過去と未来の狭間にある、いまという一瞬を共に感じる。
ここで感じること…それがきっとこれからの未来を生きる力へと変化してゆくのだと私は思う。

「汐凪のための部屋をつくりたい…子供たちのための部屋を」
以前から木村さんから聞いていたその希望は、「深山の雪」が本格的に前に進むその時がきたら実行できるだろうと感じていた。
雪がとけ、今年の春が来た頃だっただろうか…木村さんから、「実は…深山の雪は宿で無くても良いと思うのだけれど…ここが宿じゃ無いとすれば何なのだろう」…と相談された。
木村さんと知り合った私たち、たぁらたぁ編集部と私は、持続可能な宿づくり応援団と称して、昨年の秋と今年の冬の二回、「深山の雪」にとっての持続可能性とは何かを考え、感じるためのイベントを行ってきた。
ここでの厳しい冬の備えとして、ロケットストーブ燃焼構造を利用した薪ストーブ、「深山の雪のカルシファー」をつくった。猟によって狩られた鹿を自分たちで解体し調理して食べた。
私たちが暖を得るために燃やす薪、私たちの食料となる肉…そのどちらもがこの世に宿った生命であり、私たちはそうした生命によって生きている。
生命の重みを計ることはできなくとも、この世に存在する全ての生命と自分の生命との関係を感じることはできるはず。
なぜ煙を燃やしてまで薪の量を減らすのか…。
なぜ鹿を自分で解体してまで食べるのか…。

それはそこに生命があるから。
私たちはその生命と繋がっているから。
この世に存在するもの、生きとしいけるもの…石も水も空気も、見えるものも見ないものも、すべてみな互いに関係しあいながら生きている。生命の関係性から切り離されたものはなにもない。
この世とは無数の関係の連なりからなる一つの生命。
私たちは、自らの生命を燃やしながら、食べながら生きている。

「深山の雪」は宿じゃない…。
例えば、「落倉の森で刈られた木を、地面に穴を掘って立てる」こと。
たったそれだけの行為の中に、この世の全ての生命が延々と連なり、紡ぎ続けてきた関係性が凝縮されている。

みんなで、「汐笑庵(じゃくしょうあん)」を支える丸太柱を建てる穴を掘った…。
ここに集まる人、それぞれの関係性を紡ぎ、いまここにある生命を感じる。
未来は私たちがつくることができる…そうした道筋が「深山の雪」という場のつくり方、在り方なのかもしれないと思った夏だった。

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