guerrilla

1808年からのスペイン独立戦争でナポレオン軍に抗して蜂起したスペイン軍やスペイン人民衆の採った作戦を、「小さな戦争」を意味するguerrilla(ゲリーリャ)と呼んだのが、ゲリラの語源だそうだ。
ゲリラは、少人数で神出鬼没に活動したり、奇襲などの撹乱工作を行うといった戦術を用いる兵またはその組織のことを指す用語だが、近年、テロリズム(terrorism)という用語が盛んに用いられるようになるにつれ、ゲリラは例えばゲリラ豪雨など、「突発的、神出鬼没」な様子を形容する用語として用いられることのほうが多くなっている。
だからと言ってゲリラを擁護したり賛美するつもりはないけれど、でもしかし、社会的マイノリティーであるがゆえの選択が結果としてゲリラ戦術やゲリラ組織へと至ることが多いのに対し、テロリズムは、恐怖心を呼び起こし、周知されることで目的を達成しようとする行為…物理的被害よりも心理的衝撃を重視する暴力であり、マイノリティー、マジョリティーの区別の無く行われることからすれば、この二つは本質的にまったく異なるものだ。
もちろんゲリラと言っても様々で、戦闘や暴力と無縁とは言えないが、少なくともゲリラ=テロではなく、仮に一方がテロだと決め付けたとしても、それがほんとうにテロであるかどうかの判断は極めて難しい。いずれにせよ、ゲリラとテロリズムの関係に、世界が抱えた歪みと亀裂が格段と深まってしまったことが現れているということなのかもしれない。


サパティスタ民族解放軍(EZLN)は、1994年に締結された北米自由貿易協定(NAFTA)が、貧しい農民に対する死刑宣告に等しい…として、メキシコで最も貧しいとされる、南部チアパス州ラカンドンのインディオたちが武装蜂起したことに始まるゲリラ組織。当初、メキシコ政府はこの武装蜂起に武力鎮圧で応じ、チアパス州のインディオ居住区を中心に空爆を行なった。これによって多数の死者をだしたものの、サパティスタ側は対話路線に転換。先住民に対する差別撤廃交渉、農地改革修正交渉など、農民の生活向上と民主化の推進を要求するために、政府との交渉を何度も繰り返しながら、世界的な新自由主義グローバリゼーションがもたらす構造的な搾取と差別に対して闘うことを目的とした運動を展開し、その支持者を増やし続けている。


私が暮らす国、日本にも搾取と差別による深刻な歪みがあちこちに生じている。
にも関わらず、EZLNのようなゲリラ組織がない、表出しないのは、国の統治システムの完成度の違いと言うべきか。
あらゆる政策改革や制度改革は、現行の統治システムの枠内で行われていることからすれば、日本の統治システムの完成度は極めて高いと言えるだろう。それが「良い」かどうかは別の問題ではあるのだが…。
しかし、かつて1960年代から70年初頭にかけて、日本の統治システムが大きく揺らぐ時代があった。
日米安全保障条約の強行採決に反発した国会議員や労働者、学生、市民、および批准そのものに反対する左翼勢力によって、反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争は、当時の統治システムの枠が大きく揺らした。
内閣総辞職まで追い込んだ60年安保闘争は、70年安保闘争になるとやがて、闘争に参加していた左翼活動団体の分裂や、暴力的な闘争、抗争へと激化し、連合赤軍によるあさま山荘事件(1972)、それに伴って発覚した、山岳ベース事件によって、急速に大衆の支持を失なってゆく。
さらにその後、東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件や日本赤軍による事件が頻発し、新左翼や過激派と呼ばれる団体による凶悪犯罪に対する反省から、「いかなる理由があろうとも、あらゆる政策改革や制度改革は、法律のもとに成されなければならない」という大衆意識が確立したことによって現在の統治システムへと至ったとも言える。


だがしかし、社会が民主的、平和的であるために法律が大切であるとは言え、あれから随分と時を経たいま、私たちの意識の中にあらねばならないはずの、『法律とは何であるのか』…が、あまりにも希薄になってしまった。
既に三権分立は名ばかりと言わざるを得ないこの国の政治システムを招いている要因は、他ならぬ、この国の主権を担っているはずの私たち国民の政治離れにあることを否定できない。
とはいえ、一部の都合が優先され、多数決の原則によって推し進め、決められる法律が、必ずしも私たちの未来にとって「良い」とは限らない。
マイノリティーがマジョリティーによって押さえ込まれ、法によって半ば強引に国民を従わせるような政治のあり方は考え直さねばならないと思う。


テロリズムという用語を日常であたりまえのように聞くようになったいま、私たち日本人は先の戦争の敗北、60年・70年安保闘争の結末、その後の過激犯罪 を思い出さずにはいられない。
テロリズムが強調されればされるほどに、私たちの心の奥底にある恐怖心が呼び起こされ、テロリストとおぼしき人々、組織を警戒、嫌悪する気持ちが呼び起こされる…。
現行の統治システムが広く世間に浸透しているいま、多くの日本人にとって、反政府や反米といった用語は、左翼や過激派でありテロリズムという暴力へと簡単に繋がってゆく…。
EZLNのようなゲリラ組織がメキシコ政府をはじめ、世界的な新自由主義グローバリゼーションの流れにとって無視できなくなっているいま。
私たちは、テロリズムとは何であるのか…暴力とは何であるのかを真剣に考え直さねばならない時代を生きているのだ。

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