文:小池雅久 絵:茉莉花
私たちは日常、自分たちが立っているその足の下のことを気にすることはない。
足元のその下には、植物や農作物を育てることのできる土があることを知ってはいても、その土がどうしてそこにあるのか、土とはなんであるのかについてあまり考えることはない。
街の地面はコンクリートとアスファルトで被われ、泥んこ遊びは既に子供の遊びから遠退いてしまった。
私たちは地球の表面、土の上に生きているにも関わらず、土を見ないように、考えないように、家の中に入れないようにしている。
でもいったい、土が私たちにどれほどの迷惑をかけたと言うのだろう。
この世にあって、これ以上に重要なものが他にあるのだろうか。
すべては土から産まれ、土へと還るというのに…。
「 1 」
イギリスの自然科学者、地質学者であり生物学者のチャールズ・ダーウィンは、1882年に死去する一年前、それまで四十年間にわたって観察と研究を続けたミミズと土の関係について、『ミミズと土』として刊行している。
進化論と言えば誰しもがダーウィンの名前を挙げるほどに、初期の進化論を牽引した偉大な科学者がその晩年を費やした研究は、意外にもミミズと土の関係についてだったのだ。
ミミズがいかにして泥と朽ち葉を土壌に変化させるかを主題とするこの本は、私たちが立っているこの大地がミミズの体を通じていかに循環しているかを考察しつつ、私たちと土との繋がりがどれほど大切であるかを気付かせてくれる。
しかしダーウィンがミミズを観察していた時代はまだ、土壌とは単に植物への養分供給源であるといった一面的な考え方が主流で、いくら著名なダーウィンの研究とは言え、同時代の人々からすれば、一生をかけてまで、なんとつまらない研究をしたものだと思われたかもしれない。
ダーウィンは、ミミズと土との関係を観察し続けることをつうじて、表土とは、土壌侵食と下層の岩の風化とのバランスによって維持される恒久的な様相、土は絶え間なく入れ替わってはいるものの常に同じ状態であるものと考えていた。
その考えはまさしく、土壌を地球にとっての皮膚として捉えている現代の視点へと通じるもの。ミミズをはじめとした多種多様な生物による循環が、地球の皮膚でもある薄い表土を肥沃な土へと…といったように、「生きた土」の状態に保ち続けるために機能している。
私たちはそうした生物の働きによってできた土の上に立ち、その土から育ったものを食べて生きている。そしてまた、私たちもそうした生物と同じく、土と共に生きているのだということをダーウィンの研究は私たちに気付かせてくれるのだ。
土の中に生息している生物は、細菌のような原核生物からアメーバのような原生生物、キノコや糸状菌などの真菌類、さらには様々な植物、動物にまで、あらゆる生物界にわたる。
多くの植物にとって土はその生育の土台であり、土なくして地球上の多様な植物相は生まれない。しかし逆に見れば、植物によって有機物(枯れた葉や枯れた 枝など)が提供されなければ、土の中の生物もまた生きられない。植物の成長にとって必要な土の肥沃度は、土の中に生きる生物の活動と深く関係していること からすれば、植物と土、そこに生きる生物は互いに影響を及ぼし合う共生体であると言える。
豊かで新鮮な土を掘れば、そこに生命を感じることができる。
土に産まれるもの、土に生きるもの、土に還るもの。
目を凝らせば、生物の生と死が、一つの死骸が新しい生命へと再生する生物学的饗宴が見えてくる。
土は呼吸している。土は生きている。
土の香り、それこそが生命の匂いなのではないかと思うのだ。
「 2 」
植物は私の知らない多くのことを想像させる。
できることであればこの一生を美術家として生きたい…、そう思わせたのも植物だったけれど、私は植物についての多くを知らない。
植物の名前を覚えるより、植物が「この世をどう感じているのか」が知りたいと思う。
住宅街の中にある古い木造平屋の小さな建物を大家に無理を言って借り、「プランターコテッジ」と名付けた場づくりを始めたのもそれが理由だった。天井も窓も風呂場も取り払い、壁面はすべて土の壁にした。
私はこの部屋で植物の根を感じ、土の中の生き物になりたいと思ったのだ。
小さな庭の隅にはジャスミンの苗を植え、朝顔とヘチマと瓢箪の種を撒いた。
それは以前どこかで、植物は混生させることによって成長が早まると聞いていたからだったのだが、予想以上に成長した植物たちは、夏になる頃には見事に屋根全体を覆い尽くし、部屋の中の土が放つ香りはよりいっそう増したように感じた。
植物は、地球の表面と大気の底面との接触面を生きている。
その領域を私たちの身体を尺度として捉えれば、「足元からおおよそ手で触れることのできる領域」「手は届かないけれど見ることのできる領域」そして「触 れることも見ることもできない領域」、これら3つの領域を生きる植物は、少なくとも私たちに人間よりも地球についてはるかに知り尽くしているのは間違いな い。
明治18年(1885年)長野県更級郡(現在の長野市信更町)に生まれ、小学校、旧制中学校の教師であり地理学者であった三澤勝衛は、大自然である 大地の表面と大気の底面との接触面における一大化合体を地理学上の地球の表面として捉えていた。それは言い換えれば、土壌・植物・動物・人間が互いに大 地・大気と関係しあいながら一体となって表出するもの。そうした地球の表面を三澤勝衛は『風土』であるとした。
三澤によれば、寒い土地であったり、雪が多い土地であったり、水が冷たかったり、風が強かったり、湿度が低かったり…、そうした人間にとって一見望まし くない自然に対しても、それを憎んだり、征服したりしようとするのではなく、風土に従って、その力を活用することでプラスの力が生まれる。
そのためには、風土を知るための「風土計」である、植物・動物・土壌・人類の生活を深く細部に至るまで見ることが必要であると同時に、風土を空間的・時間的視点を持って捉える必要があると言う。
植物は、そうした風土計として極めて優れた性質を持っているが、それは植物が土の中に刻まれた風土の特徴や記憶と直接触れ合いながら成長し、風土を表出する生き物であるからだ。
私たちはそうした風土が育てた植物と共に生き続けてきたのだ。
日本の伝統的な建物は、その殆どが木と土によってつくられている。
それは単に材料がふんだんにあったからというだけでは無く、私たちの祖先が、自然に逆らわず、風土に従って生きた結果が建物にあらわれていると見るべきであろう。
植物と土は、互いに影響を及ぼし合う共生体であることからすれば、木と土によってつくる建物は、おのずと風土の特徴と記憶を表すことになる。
木に触れること、土に触れることによって、私たちは風土をより深く知ることができる。
風土を知ること…。
それは、私たちが立っているこの大地を、いまこの瞬間も黙々と耕しつづけ、土をつくり続けているミミズのことを想うことなのかもしれない。
小池雅久 美術家
「広い芝の生えた平地を見るとき、その美しさは平坦さからきているのだが、その平坦さは主として、すべてのでこぼこがミミズによって、ゆっくりと水平にさ せられたのだということを想い起こさなければならない。このような広い面積の表面にある表土の全部が、ミミズのからだを数年ごとに通過し、またこれからも いずれ通過するというのは、考えてみれば驚くべきことである。鋤は人類が発明したもののなかで、もっとも古く、もっとも価値のあるものの一つである。しか し実をいえば、人類が出現するはるか以前から、土地はミミズによってきちんと耕され、現在でも耕されつづけているのだ」
(チャールズ・ダーウィン『ミミズと土』平凡社、渡辺弘之訳、pp.284-285
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