「ヒッピーと過激派と山登り」

ブラッドペリの『華氏451度』をはじめて読んだのは美術大学を出てしばらくした頃。
美大出が美術で生きようとするのが普通、むしろ美術以外で生きようとすることの方がよほど難しい。
美術という生き方を選択したことに後悔はしていなかったものの、自分の中に小さな疑問が沸き起こっていることに気付きはじめていた頃。時代は高度経済成長期の末期を迎えようとしていた。

母は子供時代の私にいつも、ヒッピーと過激派と山登りはいけない…と言っていた。
その理由を聞かされた記憶は無いものの、母にとってヒッピーも過激派も山登りも身近では無かったはずだし、それについて深く考えていたわけでも無いと思う。おそらくそれは、単にそれらに象徴されるイメージ…を我子が選択せずに生きて欲しいと願っていたということなのだろう。

そんな母親の教育理念…があったからか、ヒッピーと過激派と山登りに象徴されるイメージとは何かは、子供時代から現在まで、自分にとっての重要なテーマとしてあり続け、その理解が自分の社会に対する判断の基準となっているような気がする。

華氏451度は摂氏233度。紙の平均的な発火温度。
ブラッドペリが『華氏451度』で描く世界では、本の所持と本を読むことが禁止されている。
この世界の建物は完全耐火建築で、公務員である消防士(fireman)は火を消すのではなく、焚書官として火焔放射器で本を焼き尽くすことが任務となっている。
本の所持については密告が奨励され、相互監視社会が実現している社会。
小説の主人公、ガイ・モンターグはファイアーマン。歳は30歳過ぎ。妻のミルドレッドと二人暮らし。二人の間に子供はなく、二人の関係は冷えている。
家には「テレビ室」があり、壁面はテレビとなり数々の娯楽が提供され、部屋の3面が「テレビ壁」になっているモンターグの家でミルドレッドはもっぱらテレビに没入する生活を送っている。
家の外では人々は耳の穴に装着できる「海の貝」と呼ばれる超小型ラジオが提供され、音楽や娯楽やニュースが流されている…。

本屋で立ち読みしていたある日、タイトルが気になって手にした『華氏451度』
モンターグと自分が重なり、本は美術では無く、自分の中に沸き起こっていた小さな疑問だと思った。

本を読み終えた時、ヒッピーと過激派と山登りについて考えていた。

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