「多動性」
正直なことを言えば、自分は自分のことが判っていない。
だから、自分が気になること、自分を魅了するものについてを、たとえ稚拙な文章になってしまったとしても、それについてを言語化することによって、少しは自分というものの本当を知ることができるのではないかと思っている。
そのお陰か、こういった作業を繰り返す中で見えてきた自分というものがある。
自分は落ち着きがない。
というか、行動と思考との間に隙間が生じやすいというか、思考が暴走するというか…、時折2つ3つの思考が頭の中で混ざってしまうような感覚が生じると、行動と思考が乖離してしまうような気がして落ち着かない。
自分の場合、食物エネルギーの不足で動きが止まるよりも、この思考の乖離が起こることによって動きが止まってしまうことの方がより深刻なのだ。
そんな時、落ち着きを取り戻すには、何か答えの出ないことを考える、もしくは手と体を使って何かをつくるのが効果的であるということは判っているのだが、考えてみるとこれもまた注意欠陥・多動性障害、ADHDの一種ではなかろうかと思うことが屡々ある。
15年ほど前のことだったか、東京で暮らしている頃のこと。
近所にあった藤田気功治療院(治療院の改装を自分が行った)の藤田先生が、「ようやく長い間、自分が抱えていた疑問が晴れた気がする」と言って、一冊の本を持って当時私たちが運営していたPlantercottageに嬉しそうにやってきたことがある。
その本の題名は「発達障害かもしれない大人たち」だったと思うのだがいまとなってはそれは定かではない。
藤田先生は、「俺はずっと自分の生きづらさは、自分のこれまでの生き方、行いが原因だと思っていたけど、そうじゃなくて、これは障害だったんだよ。障害があったから行いが生じた。だから俺はこれからもこのままで良いんだって思えるようになったんだ。いやぁ、よかったよかった。」と、なんてお気楽な人だと思っていると、続けざまに、「だからさぁ、小池くんも生きづらいんじゃないかと思って、この本のことを知らせにきたんだよ」
あらら、まったく余計なお世話だよ、と思いながらも、
「何処らあたりで生きづらさを抱えているように見えるのですか」と質問すると、「だって、そうじゃなければ、こんな場所つくらないんじゃないかと思ってさ」…と、Plantercottageがその理由だと言うのだった。
まぁ確かに。美術なのか建築なのかもわからない、しかも、ガッツリお金を稼げるわけでもない場づくりをしていたのは、確認したいこと、知りたいことがあったからであって、その意味からすれば、その確認したいことの手前には生きづらさを感じていたこともあったかもしれない。
でも、たとえそこで自分が発達障害だったと判ったとしても、「ああ良かった」とは自分は思えなかったし、あれから10年以上が過ぎたいま、今度はMAZEKOZEと名付けた場をつくっていることから考えれば、自分の行動が障害ゆえのものかどうかはさておき、どうやら発達はできていない大人だということだけは自覚できるようになった。
昨今、ADHDが世間で広く語られるようになるにつけ不登校や引きこもりがそこと関連付けられ、それによって差別とは言えないまでも、本人、または家族、その周辺にいる人が生きづらさを感じていることは事実だと思う。
ADHDが注目されることによって、それについての研究や出版も多数行われているようではあるものの、依然としてこの症状であるかどうかの判断は極めて難しいことに変わりなく、もしも仮に、判断を誤った場合、人権の侵害に繋がることはもちろん、治療として処方される薬があることからすれば、生命にも直結する問題を多分に含んでいることを私達は忘れるべきではないと思う。
例えば、少しぐらい落ち着きがないとか、注意散漫だからと言って、直ぐにADHDを疑うことには大いに疑問がある。
もちろん、自分の子供にそれと疑われる兆候があると思えば、心配になるのは当然だ。しかし、その不安を解消するために直ぐに病院に行くのではなく、できることであればまずは不安を共有できる人こそを探して欲しい。
そもそもが不登校も引きこもりも病気ではない。
その原因はその本人にあるというよりは、これは間違いなく社会における様々な関係性によって表出する社会の姿そのものであると自分は思っている。
社会はそうした判断に至った人達の経験から、今後社会がどうあるべきなのかの重要なヒントが得られるはずだし、社会に生きる人の経験の積み重ねによって社会はつくられてゆくべきだ。
落ち着きのない自分はとりあえず、政治家や資本家が語るグローバル化についてではなく、人の熱と生命の輝きをまざまざと感じられる、まぜこぜな社会を想像しつつ、そのための場づくりをあれこれ続けてみようと思う。
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