「藝術の脆弱性」

思いのほか、世間の大きな反応がある「表現の不自由展・その後」について。この問題は、芸術監督・津田大介氏が言うところの、『芸術祭の脆弱性』を可視化することをつうじて、この国が抱える危うさを、彼自身が顕すことのために、予め計画されたストーリーであったと確信している。この計画が会期3日で中止となることまでを正確に予想していたとは思えないものの、少なくともその計画は実行された。津田氏がこの計画そのものを藝術として捉えていたかどうかは不明だが、「表現の不自由展」という展覧会に注目した彼は「それ」を使って、『あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」』という計画をしたと考えることができる。彼自身が語るように、「表現の不自由展・その後」の作家の最終決定権は「表現の不自由展・その後」実行委員会にあったことを説明し、そのいっぽうで「責任を取るのは僕である」と語っているとおり、この表現に必要な展示作家の選定には彼自身は関わっていないようだ。それはようするに、作品そのものの展示については彼の目的ではなかったということ。彼の計画が、この国が抱える危うさを彼自身が描いたストーリーによって顕すことであったとすれば、既に「表現の不自由展」によって作家の選定は終わっているに等しく、あいちトリエンナーレにおける展示作家の個々の選定、作品内容、展示方法はその目的にからすればさほど意味が無かったのかもしれない…。日本人の多くが藝術は「美」であると認識している。しかし、藝術は明治になってからつくられた新しい日本語であり、藝術はArtの訳語であることからすれば、藝術もArtも、そこで表されるものは、多くの日本人が認識する「美」の本質とは異なるものと言っても間違いではない。自分はArtという概念は愛と憎しみから生じたものだと考えているが、そうしたArtという概念からすれば、津田氏が計画した「表現の不自由展・その後」という展示についてもArtであると言えるとは思う。Artに対して藝術という言葉があてられてから100年以上。藝術にも美術にも、西洋で培われたArtという思考が元にあり、明治以降、日本の藝術はそれを目標として歩んできたものの、日本人が認識する「美」との間に生じる歪みを修正することができないまま現在に至っている。自分は日本の藝術・美術・Artが抱える脆弱性を可視化すべきはまさにここにあると思っているのだが、津田氏はあえてこれについてを可視化するのではなく、『芸術祭が持つ脆弱性』を可視化し、それによって藝術のみならず、この国のあり方そのものが抱える危うさを芸術祭という場そのものを使ってあらわそうとしたのではないかと自分は想像する。自分としては、この国が抱える問題がどうであるかはさておき、芸術表現の場でこうしたストーリが計画され実行されたであろう(あくまでも自分の想像の範疇ではあるが…)ことに対して、なんとも言いようの無い虚しさを感じる。と同時に、本来、藝術表現が持つ可能性や、社会との関係性について論議されるべき芸術祭に政治的な理由が持ち込まれることによって、藝術もまた武器となり得ることが証明されてしまった。藝術のプロパガンダ利用に対する過去の反省を忘れたかの如く、この時代に於いてあらためてそれを示してしまった。これによって、ある意味では作品の本質が歪められ、伝わってしまったかもしれない。結果として多くの人が傷つけられてしまったことに対して深い絶望と大きな傷みを感じずにはいられない。藝術やArtは、人間の感性、感情に対して直接的に訴える強い力を持っている。それとの出会いによって喜びや悲しみが連鎖し、それはやがて次の行動となってあらわれる可能性がある。しかし、藝術やArtは社会を良い方向へと動かす力となる可能性があると同時に、人間が持つ憎悪という感情を呼び起こす力にもり得る…。憎悪は非常に感染しやすい感情であり、その感染力は想像の範疇をはるかに超える。だからこそ、芸術家や表現者は常にその危険を認識し、自分もまたその感情を呼び起こす力を持っていることを強く自覚しなければならないし、常にその力が憎悪を呼び起こす方向性に向いていないかについては、作家本人だけでなく、その作品を共に鑑賞するという場が重要だ。今回の場合、「(ディレクターが検閲しないよう)作家の最終決定権は「表現の不自由展・その後」実行委員会にあった…」と津田氏は説明しているが、これこそが芸術祭の脆弱性そのものと言える。藝術の脆弱性が露呈してしまった。これによって、憎悪が連鎖しないために藝術に携わる者の一人として、傍観者でいるのではなく、いまできることを考えてゆきたいと思う。

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