匙屋

11月4日(月)昨日に引き続きWSはお休み。そこで、昨日夕方「イトナミダイセン藝術祭2019」が行わている鳥取県大山町を出て、岡山県瀬戸内市牛窓町の友人宅を訪ねることに。彼と彼女は、自分たちが東京 国立市に暮らしていた時からの友人であり、一時はお隣りさんでもあった工芸作家の旦那とギャラリストの奥さん。繊細な工芸家と怪しげな美術家という違いはあるけれど、相方が ギャラリストという共通点もあり、自分にとっては、つくり手という生き方を理解しあえる大切な友人。とはいえ、会うのは10年ぶり。国立市時代と同じ。「匙屋」と書かれた看板。自分たち家族が東京から長野市に活動の拠点を移した数年後、彼らもまた東京を離れ、瀬戸内海、牛窓の海が見える場所に移り住んだのだった。人の時代に対する感じ方は様々だけれど、私達が生きる時代は既に確実に次の時代へと変わった。どう変わったのかを言葉にするのは難しいけれど、社会を取り巻く空気感、気配が変わったことを感じる…としか言いようがない。例えればそれは、天気が崩れそうな気配を感じる時にも似て…。匙屋を自分と同じ、自分たちと呼ばせてもらうとすれば、こういった生き方を続けようとする自分たちにとって、社会の気配を如何に感じ取るるかは極めて重要で、それは知識や技術とは異なる、この世をかたちづくるすべてのモノやコトが発する目には見えない、耳にも聞こえない、それぞれが発する信号のような何かが関係しあうことによって生じる何かを感じる力…。人は皆本来、その何かを気配として感じる力を等しく持って生まれてきているのだけれど、この世の中を生きるということはその力を如何に失わずに生きるかということに等しく厳しい…。でも、自分たちはそれがあるからつくることができる。人は感性によってこの世を感じながら生きている。 匙屋は、東京を離れることを決めてから、その理由を沢山の人から聞かれたものの、それに答えることにとても苦労したらしい。…そりゃそうだと思う。きっと彼らもまた自分たちと同じ。この世の気配を感じたからだと思う。それを人に上手く説明できるようなら、いまも変わらず、ずっと匙ばかりつくっていないと思う…。牛窓に流れる時間が匙屋にとても似合っていた。

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