「bookcoverchallenge 外伝」~松山巌 建築はほほえむ 目地・継ぎ目・小さき場所 」自宅に籠っている人が多いためのか、SNS上で本の紹介する人がやけに多いなと思っていたら、どうやらそれはbookcoverchallenge という試みによってであるということを友人に聞いて知ると同時に、良ければどう…と誘われた。世の中がこんなことになる前からずっと、本は売れない…は周知の事実だったわけで、①本の表紙のみの紹介②次の誰かにこのバトンを渡す…という単純明快さはまさにSNSという機能にとってうってつけの試みだと思いつつも、逆に思いの丈を吐き出したいような天邪鬼の自分からすれば、こういったシンプルさは消化不良を招きそうだし、そもそもこれは読書文化の普及と言うよりはむしろ、SNSが持つ拡散性の高さと個人の拡散力が際立つだけの5Gへの布石か…と思ってしまったりするような自分。とはいえ、自分たちが運営する図書館&ギャラリーmazekozeには自分たちが所有する本をはじめ、自分たちと縁がある人たちが寄贈しくれた本が並んでいるし、様々な作家さんから預かっている作品をはじめ、ギャラリーとして販売しているものがあるにも関わらず、売るつもりもない本に埋もれているような状態。ここを本屋ではなく図書館と名のる理由は、この場に本があることによって場の持つ空気感は確実に違ってくるな…と感じるから。本にとってその内容は勿論大切だけれど、自分たちが東京で13年間、長野に来てから11年間、場とは何であるのかを考え、つくり続けてきた間、本はずっと自分たちの場づくりと共にあり続けてきた。場の運営と経営という視点からすれば、売れる本をもっと増やすこともいつも考えてはいるけれど、今のところここが本を売る本屋になる気配はない。そんなことだから、読書文化に貢献…なんてことは考えたことも気にしたこともないけれど、少なくとも本が自分たちと外界とを繋いでいてくれていることは確かなことで、もう何年も開いていない本であっても、それがあることによって、あの時あの瞬間といまとが確実に繋がっていると感じることができることは、場づくりをつうじての大きな褒美の一つだと思っているし、本には感謝している。bookcoverchallenge 4日目。松山巌「建築はほほえむ 目地・継ぎ目・小さき場所」東京・国立市での場づくり、PlanterCottageをはじめて5年目の初夏だった。「この本を読んでいて思い浮かんだのがここだったのだけれど、もう読み終ったので寄贈します」と友人から頂いた本。その本がいまも、図書館&ギャラリーmazekozeの本棚に並んでいる。自分が何をつくりたいのかを考えるためにつくった場所…Plantercottageによって自分は多くの人と出会い多くのことを学んだ。建築を志したことなど一度もなかった自分が、その後現在に至るまで、建築と美術の狭間でつくり続けることになってしまったのは間違いなくあのPlanterCottageという場所があったからだと思う。…もし建築たちに意志があるなら、建築たちは樹のように生きたいと希っているのではないだろうか。その土地で生き、育ち、そしてその土地で死ぬ。建築が寄り集まったとき、林や森のような静謐と陽気、秩序と多様をもたらさないとしたら、ひとつひとつの建築はどこか間違っている。…もう長いことこの本を開いたことはなかったけれど、あの時、この本を読んだ友人が何故、PlanterCottageを思い浮かべだのか…この本の表紙を眺めながら、もう一度ゆっくりと考えようと思った。PS:表紙の「建築」という文字が大きいので、建築についての専門書だと思ってしまいがちだけれど、自分には建築のことを語っているとは思えなかった。…というよりも、自分はこの本から、建築とはこの世に生きとしいけるものすべての生命に関わるものであるということに気付かされたことからすれば、建築を専門家のものにせず、如何にして開放するかについて書かれている気がしている。
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