「移動不可能な美術」

目の前にやらねばならないこと…があると、それが嫌なことではなくても、ぎりぎりまで手を付けないこの性格は病だと理解して貰うしかない…。(ご迷惑おかけしている方々、本当にごめんなさい。)尻に火が着いてから猛ダッシュ!という性格はちょっとやそっとで変わらないと思いながら、新潟県十日町市にあるミティラー美術館へと向かった。

ミティラー美術館は、1982年に設立された私設の美術館。インドの伝統絵画ミティラー画をはじめ、ワルリー画、ゴンド画など、インドのコスモロジーあふれる豊かな民俗芸術を収集、常設展示している非営利の私設美術館で、日本全国での出張展覧会等にあわせてインドの描き手たちを招聘しアーティストインレジデンス活動を続けている。

感動とは出会う時期や場所、身の回りの状況と大きく関係するもの。そしてそれは、あらかじめ決まった場所にあるわけではなく、ある日突然遭遇するもの。そういった意味からして、とにかく自分にとってはこのタイミングでミティラー美術館に行けたことはとても良かったし、作品も凄く良かったけれど、何より自分にとっての感動とは関係の連鎖の賜物であり、そういった意味からして自分を取り巻く人に対してはもちろんのこと、いまのすべてに感謝しなければならない。(お待たせしてしまっている方々には深くお詫びします。)

芸術が私たちに与えてくれる感動とは何かについてを言い表すことはとても難しい。だからこそ芸術はこの世にあり続けているのだと言うしかないのかもしれないけれど、正直なことを言えば、自分は美術家を名のっていながらも美術館に対して良いイメージを持っていない。画廊や美術館が持つ社会的役割もその仕組みも理解しているつもりだし、それを全否定こそできないものの、美術館に掲げられた作品こそが芸術だ…的な雰囲気がどうにも好きになれなくて美術館にある作品を良いと思ったことは殆どない…。

かつて美術大学という美術の専門教育を経て、気が付けば美術家への道を歩みつつ、身の回りには美術家をはじめ美術の専門家ばかり。そこでは当然のごとく、作品が美術館に収蔵されることが良しとされていてはいるけれど、そもそも美術館という場所が好きではなかった自分は美術には向いていないのではないかと思っていたし、美術館に収蔵されることを前提とする作品を自分がつくることは想像しずらかった。そういった意味からすれば自分は美術家としては落ちこぼれだけれど、でもだからこそ美術とは何か…についていまもずっと考え続けることができいるのかもしれないし、人が美をこの世を生きるための術とするために美術家はあるべきではないか…という自分の美術家としての基本的なスタンスは変わらない。

ミティラー美術館は十日町駅から車で15分程の山間の急な道を進んだ先の大きな池のほとりにある。案内してくれた美術館のスタッフの方の話しによると、かつてこの目の前の池を埋め立て、フィールドアスレチックのような施設にするという計画が持ち上がった時、現ミティラ-美術館の館長が、インド音楽奏者だった自分と繋がりから、インドの絵画を展示したり、インドから人を招いて交流の拠点にしたらどうかという提案から始まった活動だということ。

築年数は50~60年ほどだろうか。老朽化したうえに中越地震の被害もあった木造の体育館は作品の展示というよりも、地震の被害を免れた作品が何とかここへと避難収蔵されているといった感じで、床のあちこちに桶やバケツが置かれて雨漏りの水を受けていて、作業用の投光器の照明が作品に影をつくる。美術館の環境としてはあり得ないかもしれない。でも、ここにある作品の多くは、インドの農村からここへと招かれ、スタッフや地元の人々と交流しながら描かれた作品であることを思えば、湿度も雨漏りも足りない照明も…そんなことはたいした問題ではないということをひしひしと感じる。大切なことは、生きるために必要な文化とはこうしてつくられ使われてゆくものだということ。あるものは残り、あるものは消えてゆく…作品もまた人の痕跡であるならば、本当はみなそういうものであれば良いのだとも思う。この美術館にあるものはこの世の関係性だと思った。そこに自分が追い求める移動不可能な美術の一端が見ることができたような気がして、自分たちが行っている場づくりの次なるステップが踏み出せそうな、そんな気持ちになれた美術館だった。

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