「経験と感性」

12年前、娘の小学校入学にかこつけて半ば強引に長野市へと移り住んだ。その娘は高校3年生となって、その高校生活も残すところあと数回の登校と卒業式だけ。自分はと言えば、長野市で生まれ育ったとは言え、あれから10年以上が経つと言うのに、未だ浦島太郎状態から抜け切れていない。

自分と血縁の子供は娘の一人だけれど、長野へと戻って数年した頃に、縁があってとても小さなフリースクールで子供たちと関わっていたことがある。そのフリースクールに通ってくる子供たちは、ちょうど娘と同じぐらいの年齢の子たちだったこともあるし、いわゆる既存の学校での子供との繋がりでは無かったこともあって、自分にとってはふと、何となく気になる子供たちなのだ。その後、そのフリースクールは名称を変え別の場所に移動して自分はそこには関われなくなってしまったけれど、そんな子供たちの中で時折、MAZEKOZEに顔を出してくれていた子供(既に高校性なので子供という呼び方は失礼かもしれない…)は、昨年の春から通信制の高校に通いはじめたそうだ。その彼と話していると、かつてフリースクールでも感じていた、子供と大人、生徒と先生…といった境目を感じることなく、それぞれの人間として経験と感性のやり取りをつうじた会話ができる心地良さを感じる。

自分がいまに至った背景には、そのフリースクールや、かつて東北・岩手にあって長い間関わってきた「森と風のがっこう」や、全国いくつかの場所にある「森のようちえん」も…、既存の社会システムでは今はまだ正式に認められてはいないものの、そういった学びの場に関わってこれたことはとても重要な意味を持っている。昨年、新型コロナウイルスによる社会的動揺が増す最中。東京と長野を何とか行き来しつつ自分のすべき活動をする一方で、いつも考えていたのは、そうした学びの場の必要性についてだった。自分は、既存の教育という仕組みの中で、教えるという立ち場に立ったことはないけれど、年齢や性別や国籍の境目無く、経験と経験の交換作業…と言ったら良いか、お互いが感じたことのやり取りをつうじて、人が繋がりあう経験と場の機会がこの社会には圧倒的に不足していることを痛感している。

自発性の重要性と必要性、その育みについてが取り沙汰されるいまの社会ではあるけれど、既存社会の仕組みの中で、自分が経験してきたようなことを教育の仕組みの中に取り入れることは、不可能とは言えないまでも、とても困難なことであると思う…。今の自分の状況や社会のあれこれを考えながら、お互いが感じたことのやり取りをつうじて、人が繋がりあう経験と場を具体的につくりたいという想いが増している。それを「がっこう」と呼ぶべきかどうかは考える必要があるとは思っているけれど、少なくとも自分がつくりたいもの、創造したいものにとってそうした場は必要なことだけは確かだと思っている。

※以下。長くなってしまいますが、以前、自分がFBで投稿した文を貼り付けておきます。お時間がある時にでもお読みになってください。ご意見などお聞かせ頂けると嬉しいです。

※2012年8月 投稿「森の中へ」

暑い日が続くここ数日。週1回開講する、「おひさまと虹の学校・土曜クラス」も、森の中へと教室を移動することにしました。場所は、学校(観音寺)のすぐ下を流れる、鳥居川の上流。そこは、涼しさ満点!、生命の満ち溢れるところでした。今年1月からの準備クラスを経て5月から開校した、「おひさまと虹の学校・土曜クラス」は、小学生にあたる年齢の子供たちを対象にしたフリースクール。月/3~4回開校するこの学校は主に、上水内郡飯綱町にある、古いお寺(住職がいなくなり、門が閉まってしまっていたお寺…観音寺)を使わせて頂きながら、時に、周辺の大自然の中へと教室を移動しています。月曜日から金曜日までは、シュタイナー幼稚園「れんげ子供園」として。土曜日は「おひさまと虹の学校・土曜クラス」がこのお寺を使わせて頂いています。

私たちが生きるこの世界は、無数の「いのち」の連なりから成っていて、私たちはこの「いのちの連なり」によって生かされている気がします。にも関わらず、私たちにとって欠かすことのできない「いのちの連なり」を教えること、学ぶことはとても難しい…。そもそも、誰にもこれを教えることはできないのかもしれません。…。でもおそらく、私たち自身が日々の暮らしの中に「生命」を感じることを通じて、「いのちの連なり」は、私たち自身の「生きる力」へと変化しながら、身体の中に沁み込んでゆくようなものなのではないでしょうか。私たちは、子供たちが生命と出会う瞬間をつくるほんの少しのきっかけづくりを行いながら、子供はもちろん大人にとっても、この世に満ち溢れる「いのちの連なり」を感じることを通じて、『生きる力を学べる場づくり』を目指しています。

私たちの活動にご興味ある方、子供たちと一緒に、感じてみませんか?ご連絡お待ちしています。

※2012年 7月投稿「おひさまと虹の学校・土曜クラス」

「おひさまと虹の学校・土曜クラス」は、長野県上水内郡飯綱町(旧牟礼村)の町の高台に古くからある、小さなお寺を使わせて頂いて開校している。二十~三十年前にこのお寺…「観音寺」のご住職が亡くなって以来、住職のいない、いわゆる無住寺となって荒れてしまっていたこのお寺は、5年前、「れんげ子ども園」という小さな幼稚園となって新たな時を刻み始めた。

お寺という場が仏教という教えを説き広めることに始まったことは間違いないけれど、仏教という教えをつうじて人々の中に「何か」が育まれ、その「何か」が人々の暮らしにとって欠かすことのできないものとなってゆくことをつうじて、結果としてお寺は、地域の人々や檀家の人々など、たくさんの人々が集まる「場」となっていったのだろう。

…現代という時代に生きる自分からすれば、それは仏教でなくても良かったのではないかとも思ったりもする。でもきっと、ここに仏教という種が撒かれ、根付き、結果として寺という場となっていったことを思うと、そこに撒かれた仏教という種はきっと自分が思っているような仏教ではないのかもしれない…とも思う。おそらくは、江戸時代から明治時代にかけてつくられたであろう寺の庫裡。入口の土間は今よりもずっと広かったのかもしれない。土間には土に覆われた竈があったのだろう。庫裡の二階に上がると、その竈の煙で煤けて黒くなった天井が見える。現代的につくり直された…とは言っても30年ほど前であろうか。台所の奥には、一度に三升の米が炊ける釜が二つのる竈が今も残っている。

この竈を子どもたちと掃除して、火をつけてみることにした。梯子をかけ煙突のつき出した屋根に登って、屋根の上に積もった葉っぱを掃除する子がいる。煙突の上のほうから声がする。「お~い、聞こえる?」「薪も集めなきゃ…。」「杉の葉は燃えやすいよ。」「竹の葉っぱはどう?」「まっちで火つけられるかなぁ…」お寺の境内、小さな本堂の前には20ほどのお墓が立ち並ぶ。子どもたちがそのお墓の傍らを走りまわる姿を見ながら、「何か」を感じた。

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