「草枕」

~山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。~

先日、友人から「草枕」に書かれている芸術論について尋ねられ、そう言えば教科書とかで部分だけは読んではいるものの、夏目漱石の小説を全編をとおして読んだことは一度もないことにはたと気が付いた。若さとは常に腹が減っているということ。満たされていないという感覚であって、夏目漱石の類はそうした空腹感を紛らわすためのもの。旨いとか不味いとか気にも止めず、食えそうなものは全部食ってしまえる体力と気力があるうちに食ってしまうべきものだと思っていた自分。とは言え、机の前に座っていることほど辛いことはないと思っていた子供時代の自分にとって、本は自分を机に縛りつけようとする敵が携えるバイブルのようなものであって、中でも夏目漱石のように超が付くほどに有名な作家の小説や偉人伝記を余計に毛嫌いしていたこともあってか、夏目漱石は自分の中ではかなり意識的に遠ざけられていた作家でもあったのだ。

友人によれば、何処かで目にしたか聞いたかは忘れてしまったけれど、そこで語られていた草枕に書かれている夏目漱石の芸術論をはじめて知ったそうで、コロナ禍によって暮らし難さを感じているいまの自分たちと草枕が書かれた時代の背景にある住にくさには何処かつうじるものがあって、草枕にはそうした住みにくい社会だからこそ、芸術の役割というか、芸術の本質が際立つのではないかというような内容だったらしく、自分にも是非それについて尋ねてみたいと思ったのだそうだ。そんなこんなで自分もついに、夏目漱石を読んでみることにしたのだった。

芸術は芸術論を必要としていない。草枕を読んで自分が思ったのは、先ず以てそのことだった。単なる想像・空想・夢想・感情・情緒の産物でしかなかった不確かな思考。芸術はそうした不確かな思考を食らって生きる。人は旨いとか不味いとか気にもとめずに芸術を食らう。

芸術論は食えない。ただそれだけのこと。昨日、草枕を食ってみた。

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