とかく芸術という類は面倒臭い。
芸術論なんてものは結局のところ、芸術という領域の既得権争いによって捏ね繰りまわされた複雑かつ難解な理屈に過ぎないし、そもそも芸術論が理解出来なければ解らない芸術なんてものが無かったとしても、この世の本質からすれば何ら困りはしない。
にも関わらず、芸術が難解になればなるほどに難しい芸術を理解できる人は尊敬され、その理解者によって価値があると評価された芸術作品の価値は高まってゆく。高い価値を携えた芸術作品は博物館や美術館と名付けられた場所に収蔵され、国民の前に崇高さを纏って高々と掲げられる。
きっと此処まで読んた人は、出たよ、また面倒臭さい長話しだな、と思っていたりするのかもな、と思いつつ、やっぱりこういった話しをするのは止めた方が良いんじゃないかと思うことだってあるし、日々、芸術に疑問を持たず関わっている人々がいるわけで、友人知人の多くが芸術に携わっている人々であることを思えば、芸術の否定と感じられかねない、こうした物言いをすれば、友人関係だって失い兼ねない…と思う自分もある。
でも、自分が歩くこの道がたとえ芸術の脇道ではあれ、芸術が自分にとっての生き方であるという気持ちには変わりなく、自分にとって、この世について気付かせてくれたのもまた芸術であることを思えば、自分の芸術に対する本心を言葉にすることは、自分の芸術に対する筋の通し方だと思うのだ。
だから申し訳ないけれど、ここから先は面倒臭い話しであることを覚悟しておいてもらいたい。
松宮秀治による著書「芸術崇拝の思想・正教分離とヨーロッパの新しい神」では、西欧近代社会における「芸術」について、以下のように語られている。
18世紀末から19世紀初頭にかけてヨーロッパでは宗教と芸術の位置は完全に逆転する。宗教は個々の人々の内面の慰安、今日のわたしたちの言葉で言えば「癒し」の領域に取り込まれ、代わって「芸術」が市民社会の公共の典礼となる。美術ミュージアムや芸術展覧会、あるいは古寺巡礼の訪問者たちが、「芸術」に癒しを求め、作品との美的交流。魂の対話をおこなっているというのはひとつの幻想であって、真実は「芸術」という観念に身をゆだねるのである。政教分離が確立されていく西欧近代社会にあっては、宗教はかつてそうであったような不可抗力的な社会制度ではない、まさに「芸術」こそが近代社会の不可抗力的な制度となっているのである。
~「芸術崇拝の思想・正教分離とヨーロッパの新しい神」P28
西欧社会のつくり出した「芸術」はせいぜい200年の歴史しかなく、西欧社会に於ける正教分離と近代国民国家の成立にとって、芸術は極めて重要な役割を担うことになってゆくものの、そこでつくられた「芸術」という概念はけっして普遍性あるものではないと言う。
松宮の現代の芸術に対する見解は幾分言い過ぎの印象を感じはしたものの、西欧の思想・哲学の変換をつうじた芸術に対する検証は十分納得できるものであると思ったと同時に、少なくとも芸術がいまのままである限り、芸術はますます美しさの本質からかけ離れたものとなり、いずれは自滅するしかないと思う…。
松永によるこの論を読みながら、夏目漱石の「草枕」の主人公である画工の芸術家を思い出していた。主人公、余の芸術に対する考え方は夏目漱石自身の芸術に対する考え方であることは間違いなく、イギリスへ国費留学し西欧文学を学びつつ西欧近代社会を目の当たりにした漱石が、日本に怒涛の如く押し寄せる西欧近代文明と日本の関係についてをどのように感じ、そして何を考えていたのか。
西欧近代社会がつくり出した芸術という概念とはどういったものであるのか。
それに対する日本人として慣れ親しみ育んできた「それ」とは何であるのかを伺い知ることができる。
「二十世紀に睡眠が必要ならば、二十世紀にこの出世間的の詩味は大切である。惜しい事に今の詩を作る人も、詩を読む人もみんな、西洋人にかぶれているから、わざわざ呑気な扁舟を泛べてこの桃源郷に遡るものはないようだ。」
現代人ならばそうとも言えるが、いまから100年以上前の日本人が既にこういった西洋かぶれ体質を獲得していたのだとすれば、芸術であれば尚のこと、日本の「それ」となど比較せず、疑うこと無く受け入れてしまったのだろうし、そうしてしまったのは多分に、西洋に対するコンプレックスからだったのかもしれない。
そんな急速な日本人の西欧化に対する一部の日本人の強い反動が、強制徴兵制度による帝国主義の時代へと突き動かす原動力となり、戦争という結果をもたらしてしまったと考えることができるのではないかと思う。
しかし、その当時、欧米列強によるアジア進出という世界情勢があったにせよ、そうすることは仕方なかったことなのだろうか…。
国民国家という西欧近代社会にとっての不可抗力的な制度としての「芸術」を受け入れたとはいえ、芸術家たちが皆、近代国民国家を求めていたわけではないはずだ。
少なくとも、放浪の画工、余は、西洋思考によってもたらされる世界から目を背けるために放浪していたのではなく、芸術家であるからこそ西洋の思考とは何であるのかについて真剣に考えることができていたはずであって、だからこそ世間から出て、すこしの間でも非人情の天地に逍遥したいと願ったのだろう。
もはや日本も西洋と同じ世間の中にあることを知った余は、不可能なこととは思いながらも、この先に待ち受ける世界に日本がのみ込まれないためには自分がそうするように、日本もまたこの世間からしばしの間出るしかないと思っていたのではないだろうか。
「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまつてさうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ。人は汽車へ乗ると云ふ。余は積み込まれると云ふ。
人は汽車で行くと云ふ。余は運搬されると云ふ。
汽車程個性を軽蔑したものはない。
文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によつて此個性を踏み付け様とする。」
いま、芸術はその力の使い方を見失ってしまっている気がしてならない。
芸術という類が面倒臭いものであることもまた、この世にとって必要なのだと思う。
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