「何か」を感じる

「おひさまと虹の学校・土曜クラス」は、長野県上水内郡飯綱町(旧牟礼村)の町の高台に古くからある、小さなお寺を使わせて頂いて開校している。
二十~三十年前にこのお寺…「観音寺」のご住職が亡くなって以来、住職のいない、いわゆる無住寺となって荒れてしまっていたこのお寺は、5年前、「れんげ子ども園」という小さな幼稚園となって新たな時を刻み始めた。

お寺という場が仏教という教えを説き広めることに始まったことは間違いないけれど、仏教という教えをつうじて人々の中に「何か」が育まれ、その「何か」が人々の暮らしにとって欠かすことのできないものとなってゆくことをつうじて、結果としてお寺は、地域の人々や檀家の人々など、たくさんの人々が集まる「場」となっていったのだろう。

…現代という時代に生きる自分からすれば、それはなにも仏教でなくても良かったのではないかと思ったりもする。
でもきっと、ここに仏教という種が撒かれ、根付き、結果として「寺」という場となっていったのであろうことを思うと、そこに撒かれた仏教という種は、おそらく自分が思っているような仏教とは異なるものであったのかもしれない…とも思う。

おそらくは、江戸時代から明治時代にかけてつくられたであろう観音寺の庫裡。
入口の土間は今よりもずっと広かったのかもしれない。
土間には土に覆われた竈があったのだろう。
庫裡の二階に上がると、その竈の煙で煤けて黒くなった天井が見える。
現代的につくり直された…とは言ってもそれは30年ほど前であろうか。
台所の奥には、一度に三升の米が炊ける釜が二つのる竈が今も残っている。

この竈を子どもたちと掃除して、火をつけてみることにした。
梯子をかけ煙突のつき出した屋根に登って、屋根の上に積もった葉っぱを掃除する子がいる。
煙突の上のほうから声がする。
「お~い、聞こえる?」
「薪も集めなきゃ…。」
「杉の葉は燃えやすいよ。」
「竹の葉っぱはどう?」
「まっちで火つけられるかなぁ…」

お寺の境内、小さな本堂の前には20ほどのお墓が立ち並ぶ。
子どもたちがそのお墓の傍らを走りまわる姿を見ていたら、「何か」を感じた。

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