「ローカリズムの種」

日本においてバブル経済崩壊後の1990年代初頭からの失われた20年、その後現在に至るまでの10年間の経済成長・景気拡大の低迷期についてを、失われた30年と呼ぶ背景には、経済成長・景気拡大を伴った社会状態こそが健全な社会であるかの認識がある。

戦後日本経済がGNP世界第2位にまで成長した過去の事実があるにせよ、世界を覆い尽くさんばかりに拡大するグローバリズムのという潮流の中、日本の政治家、財界人、経済学者達…諸々の人々が、かつてのような経済成長・景気拡大の実現は難しいという予測が出来ないとは思えないし、とは言え、残念ながらこの国の政治はそのことを正直に国民に伝えてくれるとも思えない…だからこその失われた30年ではあるのだろうが。

だからこそ、グローバリズムによって何がどう変化するのか。だからこそ、私たちはローカリズムについてもう一度はじめから学び直さなければならないと思っている。

自分は美術馬鹿であるがゆえ、これについて考えるにしても自分がいま立っているここからしか考え始めることが出来ないけれど、グローバルとローカルを理解するうえで芸術は比較的わかりやすい例なのかもしれないと思ってもいる。

これについて考える時に重要なことは、

「美術とArtとは同じではない」ということ。

ざっくりと簡単に言ってしまうとすれば、Artは美を扱っても差し支えないとは言え、美をその中心には置いていない。近年、Artは美から益々遠ざかる傾向にある。

それに対して、美術は美を切り離すことが出来ない。

これについて話すと恐ろしく長くなってしまうので、この話しは直接会った時にでもしましょう。

芸術と美術という言葉、物事の捉え方、概念は、明治時代になってから、西洋の思考体系、生活風習などが堰を切ったように日本へと押し寄せてきた際に新しくつくられた日本語。

Liberalartsには芸術が。Artには美術という日本語が充てられたそうだ。

それはようするに、今でこそ私たちが日本の美術・芸術と認識している絵画や彫刻などといった数々は、明治以前にこの国に生きた人々は芸術だとか美術として認識していなかったということ。

では、それらを日本人はどう認識していたのか。

それまでもずっと日本にあったそれら。いまのように一般大衆が気軽に目にすることが難しいものもあったとは言え、寺の天井画や神社のや祭りで引く山車の彫刻、祭りで奉納される踊り…などなど。それらは皆それとしての必要性を持って存在していたのだ…。

何を言っているのかわからないかもしれないけれど、自分が疑いなくこう言えるようになる迄には30年という年月が必要だったことを思えば、出たよ出た、またその話しかよ…と思われたとしても無理はない…自分はこれに自分の命を懸けているようなものだし。

でも、日本の芸術・美術のこれから、この社会のこれからを考えた時、西洋概念はもともとは「ここ」で育まれたものではないということ。

このあたり前こそがグローバルとローカルの理解にとっての極めて重要なポイントなのだが、そうとは言っても、それは西洋概念や西洋の文化を否定するということでは無い。

というよりはむしろ、それまで培った自らの物事に対する理解の方法を棄てざるを得なかったその時代とはどのような時代であったのか。

西洋で育まれた思考性を受け入れることによって日本人は何を得ようとしたのか…。

現代社会の繁栄のいっぽうにある衰退には、グローバリズムとローカリズムが共存出来ない何らかの理由があるのではないか。その何らかを明確に出来ない限り、今後もグローバリゼーションの嵐は、ローカルを完全に破壊する迄吹き荒れるのではないだろうか。

以前の投稿で自分は、「美的感性の育みの重要性・必要性」を考えた時、日本という地理的視点、木という生物学的視点、山村という社会的視点から見えてくるであろう「自然」と「生命」の関係の中に、日本ならでは「美」のあり方とその必要性があるのではないかと考えた。

正直言って、美しい日本を取り戻す…などという陳腐な政治キャッチコピーを鼓舞する政治によって、日本ならではの美に対する本質な理解は随分と後退してしまった感が否めないけれど、でも自分の中の「人と人の間に美を置くことによって、生命の本質に対する理解が深まる」という確信は何ら揺らいではいない。

そして、それについて考える時、たとえそれが一時であったとしても、人は都市を離れ生命が躍動する自然の中に身を置くことの必要性について、あらためていま、極めて強く感じている。

経済成長・景気拡大の低迷が続いた30年という歳月は、自分にとって、かつての日本人が必要とした「美」とは何であったのかを考えるに必要な時であったし、単に過去を懐かしがったり伝統を有難がだがっているだけではグローバルの嵐に耐えうるローカルは育まれることはないと思ってもいる。

日本中に散らばった、ローカルの種が芽を出すために必要なことについて、美を肴にこれからも語りあうための場をつくり続けたいたいと今日もまた思っている。