遺伝子解析の飛躍的な技術革新によって生命という現象が単に物質が変化する過程として扱われ、人の生死に関わる事柄の多くが遺伝子的に操作可能なものとして商品化される。
そうした世界ではもはや、山は地図上に示されるポイントでしかなくなって、最新の登山グッズのリアルな展示場になり得るということであり、人が何故、山に登るのかについてなど考える意味も必要も無くなってしまうのかもしれない…。
ここに生きる人々は古くから山と共に生きてきた。
水源であり狩猟の場でもあり、鉱山や森林から得られる様々な恵みがもたらされると同時に、土砂崩れや火山など、雄大さ、偉大さと共に人智の及ばない恐ろしさをももたらす山に対して、人は畏怖・畏敬の念を抱きつつ、山との関係を築いて来たことについて考えれば、それとはすなわち、生命という現象について、また、この世がどうやって成立したのかについての多くを、人は山から学んできたということであり、そうした山との関わりによって育まれてきた精神性が、技術革新によって得るものと引き換えに失なわれていってしまうかもしれない状況に対して強い危機感を感じずにはいられない。
だからと言って、技術革新をすべて否定するということではないにしても、人がヒトとしてこの世を生き続けるために必要なことについて、自然の中から人が持つ感性をつうじて感じ、そして学んできたのであろう先人たちの知恵と生きるための努力を忘れずにいたいと思っている。
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