展覧会会期の半分。制作開始から2週間が経過。
ここまで来てようやく、この山のピークに到達できる日が予想できるようになってきた。
ピーク到達に要する予想日数は6日~7日。
いまは山の8合目付近で、おそらく7月1日からの数日間…7月5日迄の間は頂上に留まれる可能性が高い。
現在、木材(杉材)による空間構成が進行中で、出来れば明日中に壁土を搬入し、週末の土曜日と翌日曜日には土を塗る作業を行う予定。
頂上に到達できたその日から頂上に滞在している間だけは毎日。空間の北側(入って左奥) にある祠に、福島県大熊町で栽培された菜の花を絞って取った菜種油の灯りを灯したいと思っている。
今回のインスタレーションは、その殆どが木材によってつくられている。
この木材に加え、土と藁を練ってつくった土(荒壁土)を用いる。
木と土は、自分が学生時代から最も多く用いている素材。
その両方ともが世間では自然素材と呼ばれることがあるけれど、自分が作品にこの素材を用いる理由は自然素材だからでは無くて、木と土が導き出す関係性は自分のこの世の理解にとって大切であると思うから。
自分は時に、木の枝や幹をそのまま用いて空間を構成することもあるけれど、今回用いる木材は、すべてが杉という樹種の木材であり、その大半は製材と呼ばれる加工行程を通過した木材。約半分は製品としてつくられたもの。残りの半分は、製品をつくる際に発生する端材。別の言い方をすれば廃棄物でもある。
「土」は自然界に存在する土…粘土に藁と砂、水を加え練ってつくった、建築の土壁用の土であることからすればこれも加工された素材。
自分が空間について考えデザインし、そして制作する際に用いる素材は、木や土といった素材を用いることが多いし、それらは自然を想起させはするものの、それはあくまでも自然とは異なるもの。
特に、建築空間をつくるためには、自然に対して膨大な力を加え、山の木を刈り、山を崩して土を掘り出し、沢山の電気やガソリンや石油といった化石エネルギーを使って自然を人間が使いやすい様に加工し、材料として生産し、そうすることによって空間はつくられる。
そうした事実を否定することは出来ないし、木や土だけでなく、鉄もコンクリートも。この世に存在するものすべてがこの地球上に存在していたものであり、すべては自然から生み出されたものということになる。
自分もまた、そうした自然の中からこの世に生まれ出た存在。
それについて考える時、全ては自然から生み出される…の「生み出される」は、自分がいるこちら側から出てくる状態を見た時、感じた時であって、その向こう側からすればそこには「生み出す」であって、そこには何らかの生み出す力が存在するのだと思う。
自分はもう随分と長いこと、この「生み出す」とは何であるのかについて考えてきた。自分が美術にから離れられないのもそれが最も大きな理由であって、いまもなお、その答えは出せてはいないものの、それについての自分のいまのイメージを空間の中に表し、そしてその中で、自分と同じこちら側にいる人と話してみたいと思っている。
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