大人と子供との間には、人としての区別はない。
もしもそこに違いがあるとすれば、こちら側へと向かう力の影響を強く受けているか、それとも、向こう側へと向かう力の影響を強く受けているかの違いであって、それはこの世に存在するものすべてに共通している。
命が宿る瞬間とは人の命に限ることではなく、すべてに対して等しく同じように訪れる瞬間であって、その命が何らかの力によってこの世の側へと押し出され、あるものは人として、あるものは木や石や草としてこの世へと生まれ出て、この世での命が終わるその時まで成長が続く。
その 何らかの力 の存在についてをどう解釈し、その存在を暮らしの中にどう位置付けるのかについて考える場。
今回の展示では、それが山登りであり、展示空間の中にはその山を祠としてイメージしてみているが、山あるいは祠が 何らかの力 ということではない。
自分ができるのは、その 何らかの力 がこの世に生きるすべてに対して否応なしに作用しているというにことについての自分が想い描くイメージを空間として表わしてみること。
自分が生まれ育った町には、千数百年もの昔からこの地に置かれたという寺がある。
その寺がなぜこの地に置かれたのかについて考る時。かつて人々がその場所の前に立ち、向こう側のことを想い描いたのであろう姿を想像する。
そして自分がいま出来ることは、自分が生きるこの世に存在するものによってイメージを形づくること。そのイメージを過去のイメージと重ね合わせることによって、次に進む方向を探し出すきっかけをつくることだと思っている。
その際、自分の判断が間違っていないかにとって、ここに来る人の反応は重要だとは思っているけれど、とりわけ、この世に生まれ出て間もない子供たちの反応は、自分にとって最も大きな判断の基準となっている。
今日も子供達から沢山の気付きを貰った。
ここに訪れる人がいてくれることによって、山を登り続けられている。
そしてまた今日も山登りを続けます。
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