「人は何故、山に登るのか」

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26日目

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父と母は、フラットファイルスラッシュの前に広がる、山の谷間の上流にある山村生まれで、自分もまたこの谷間にある道を通って、町にある自分の家と山に暮らす親戚の家の間を何度も行き来した。

自分は母の実家のことを「山のお婆ちゃんち」と呼んでいたけれど、昨日、展覧会を観に来てくれた鬼無里に暮らす友人と話していて、そう言えば、父も母も親戚も皆、お互いの家の行き来には、登る、下る という言葉を使っていたことを思い出した。

考えてみるとそれは、山と町という場所が関係していて、互いの家が山どおしの場合はニュアンスが少し違う。

例えば、家が山にある人が、町に行く場合は「下る」あるいは、「おりる」

町での用事を済ませ自分の家に戻る時は、登るとは言わず「帰る」 (方言で「けーる」)

自分の家が山にあって、その家よりもさらに奥地、または標高が高いところにある家に行く場合は、「登る」その家から自分の家に戻る時には「帰る」

でも、そのことを他人に伝える必要がある場合は、自分がいまいる場所が基準となって、町から山への移動は「登る」と言う…。

ようするに、先ずは家のある場所が、山か町かという基準があるということ。これに加えて、家のある場所が山の頂上に近い、または山の奥地であるかどうか。自分がいる場所が何処かによって日常用いる言葉を使い分けていて、山が基準となっているということ。

山に暮らしている人々が日常会話ではあれ、潜在的に常に山を意識していることはとても興味深いしそこには少なからずの意味があると思う。

生前の父が、山に暮らす人の家に行く時には必ず、「山に登る」と言っていたことを思い出す。

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