ニュートン力学によって築き上げられた古典物理学は19世紀にはほぼ完成し、それによって人間社会は豊かさと便利さを手に入れた。しかしそのいっぽう20世紀になって、物質を構成する大元である「素粒子」が、それまで思っていたような単純な粒ではなく、旧来の物理学では到底の説明つかないものだということが明らかとなったことによって、「量子論」や「量子力学」といった量子物理学が誕生した。
言い換えればそれは、真実を語っていた科学から、実は細かなことはわかっていない科学へと変化しはじめたということだと思う。
例えば、ルパート・シェルドレイクによる形態形成場仮説とはまさにそうした変化の流れをつくる力の一つではあるものの、科学の本流からすれば、淀みなく流れていたところに投げ入れられた障害物であり、いまは未だ、流れを乱す異物だとかオカルトとして扱うしかないのもわからなくはない。
でもそれも然程は遠くないそのうちに、科学にとっての必要性であると認めなければ、科学そのものの存在性が保てなくなるのではないかと思う。
自分は科学者でもないし、そもそも古典であれ現代であれ、物理学とは何であるのかの理解すら怪しいので、これを他人に解説することなど到底出来はしないけれど、でもしかし、いまというこの瞬間に自分の意識がここ…形態形成場に対して反応していることはもしかすると、「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」…という形態形成の働きが関係していているからではないかと妄想している。
「実は細かなことはわかっていない…」
それというのは科学に限ったことでは無くて、これまでの社会が常識として信じて来た真実や正しさ、正義や悪…といった概念が、いま大きく揺らいでいるということ。
科学だけがそれに気付いたのではなく、人が良かれと信じ築き上げてきたこの社会に生きる上で生じる様々な矛盾や問題が、もはやこれまであった概念では解決しえないということに気付きはじめ、そういった人の意識と科学が同調しているのだと思う。
自分の形態形成場仮説の理解はとても浅く怪しいけれど、でも、そこに何らかを感じ自分の意識が揺れていることは自分にとっての紛れもない事実。
この事実を何処まで掘り下げ、そこで何を感じるのか…。
自分にとっての美術とは、この意識の揺れを生じさせる元へと向かう入り口の扉を開けるための鍵… 否、そうでは無くて、その鍵を使って扉を開けようとする意思と言った方が良いかもしれない…。
自分の意識の揺れに気付いたその瞬間、そこに形態形成場仮説があったからと言って、必ずしもそれが自分の意識の揺れを生じさせている元であるとは言えないし、それはそういった論文だけでなく、教科書や参考書も、哲学書も、宗教教義であっても同じ…。そこには自分が直接体験したこと、自分が感じ考えたことが記述されているのではないし、それが嘘か本当かも判断はつかないことなのだ…。
それに比較すれば、自分の意識が何らかに反応し揺れているという事実の方がずっと信用できる。
感じるのは自分。
その責任もそこで何をどう感じようとも自由。
とは言え、そう思いながらも揺らぐ自分の意識を信じようとする力。それが美術であるのだと自分は思っている。
私たちはいつしか、この世とは揺るぎない法則のもとにあるもの。あらゆる問いには必ず答えがあって、正解に到達するための道筋を人生であると思い込んでしまっているのではないか。
でも自分はどうしてもそうは思えない…というか、思えなくなってしまった。
それは自分の選んだこの生き方がそうさせているのかどうかはさておき、自分の興味や関心は、自分に生じた意識を自分を動かすための意思へと結び付けるにはどうすれば良いのか。
そしてまた、意識と意思が結ばれる過程には自由が大きく関係するのだけれど、その自由が他の自由を侵害したり阻害せず、すべての自由が保たれるといったイメージを如何にして持てるのか…にある。
おそらくそれには、先ずは自分の意識の揺れに気付くことが重要で、さらにその意識の流れに沿って深く先へと向かう必要があると思いつつ、そうするための可能性を美術、あるいはArtに感じてはいるものの、残念ながら既存の美術やArtはそれに対して殆ど機能していない…。
もちろん自分にもその責任があることは承知しているけれど、美術が何のためにあるのかについて考える上では、そもそも自分たちが揺るぎないものだと思ってしまっている既存概念を疑うこともまた必要で、そうした意味で、科学者でもない自分ではあるけれど、ルパート・シェルドレイクによる形態形成場仮説は自分の中の何処か奥底を激しく揺らしている気がしてならないのだ。
いまの世界の混乱状況とは、実は、新型感染症の危険性だとか、国と国との戦争による危険性では無くて、「この世とは、これまで人間が理解し、築き上げてきた概念では到底説明つかないものだということに対して生じる不安であり混乱であって、人類は既に、これまで経験したことのない、まったく別のベクトルへと向かって歩まねばならない時にあるにも関わらず、自己の正当性を確保しようとする自由性が他者の自由性を侵害しているのだと自分は感じている。
これを解決する方法を人類が見つけられるかどうか。
その扉の鍵を開ける意思がもてるかどうか…。
人が言うことばかり気にしてないで、自分の心に手をあてて自分で考えることが大切…ただそれだけのことだとは思うのだけれど…。
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