「社会という目には見えない現象~Mother’s Milk」

今朝方、妙な夢を見て、そのまま寝ながらその夢についてあれこれ考えた…という夢…というか、考えていたことは夢ではなくて本当のこと。

それは、自分の前のベンチに赤ちゃん連れのカップルが座っていて…。男性が赤ちゃんを抱きながら授乳している(乳房が見えた…)、隣の女性(自分の好みのタイプだった…)はその姿を見て微笑んでいる。

自分に気付いたその女性がこちらを向いて、同じように優しく微笑みながら、何か話しかけてきたような気もするけれど、その声も内容も覚えていない…。

この夢を見た理由はたぶん,この社会が如何にアンバランスであるかについて。とりわけ、女性性と男性性について、あれこれと考えていたから…。あるいは、友人夫婦が里親として迎えた子が生後半年経った際の家族写真を送ってくれていたから…かもしれない。

人間社会とは、女と男が存在することによって成立しているのは言うまでもなく、自分は男女問わず、すべての性別を持つ人が平等な権利を有するべきだと考えている。

それは少なからず、政治制度や文化的慣習、社会における地位や職場における評価に於いて、女性の権利が男性に比較して不平等な立場にあることは否定出来ない事実であるし、この不平等さが男女問わず、人にとってのあらゆる不安さに関係していると思うから。

だからこそ、性別の平等さはこの社会にとっての極めて重要な課題だとは思っているけれど、

でも、考えてみるとこれは、男・女という性別の不平等だから不安になる…と言うよりはむしろ、この社会が圧倒的に男性性によって支配されてしまっていることによる歪が社会の不安定さの根底にあると自分は考えている。

とは言え、もちろんのこと、多くの女性が不平等な立場にあることは事実ではあるし、その意味からすれば、自分はすべての性別を持つ人が平等な権利を有するべきだという理由から女性の権利を主張する「フェミニズム」という思想を支持しているし、そういった観点からすれば自分自身がフェミニストであると言っても間違いではない。

ただ、先にも言ったとおり、忘れてはならないことは、この社会における女性性と男性性のアンバランスさであって、単に女性の権利だけを主張、獲得すれば問題は解決するということではないと思う。

女性性・男性性とは性質であって性別とは異なるもの。

男性の中にも女性性はあるし、女性の中に男性性がある。

それを前提に自分が思うことは、女性であれ男性であれ、社会そものが男性性を強く望み、人々は男性性をより強く発揮せざるを得ない状況が社会の至るところで起こっている…それはけっしてあたりまえではなく、この社会のあらゆることが実はそのことと大きく関係しているし、いまの社会はそれを前提としている…ということ。

勿論のこと、人間性というバランスにとって男性性も女性性も両方が大切な性質ではあるにしても、女性の権利が十分に保たれてはいないこの社会では、女性が男性と対等であるためには、女性自らが女性性を封印せざるを得ない という状況が多々あって、そういった状況を放置することによって人がこの世を生きるためにが必要な女性性は足りなくなる。当然のこと、社会の不平等さもより加速する…。

自分は美術、あるいはArtをこの世を生きる手段として選択している。

美しさを感じること。美しさを人と人との間に置いてみること…

そういったことが経済発展だとか経済の持続性にどれだけ貢献するのかはわからない。けれど、美しさは戦うことによって得られるものでなく、勝ち取るものでもなく…ただそこにあるもの。

それに気付く力こそが女性性の最も大きな力であり働きであって、本来、女性はその力を男性よりも強く持って生まれて来ているはずなのだ。

そういった女性性を自らの内に如何にして宿すのか。

夢の中で、男性が授乳している姿を見ていた女性は男性の中に芽生える女性性に微笑んでいたのかもしれない…と思った。

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