自分に限らず、多くの作家にとって作品にタイトルを記すのが一般的ではあるものの、作品にタイトルが必ずしも必要ではないということは言うまでもない。よくある無題というのもそれはそれで大きな意味を持っているとも思うけれど、タイトルとは当然こと、作品と相関関係にあるわけで、良くも悪くも大きく影響するし、タイトルは見ない、読まない、必要ない、あるいはタイトルは作品を見た後で…という人がいるとしても、それはそれで観る人の自由。
自分の作品に関してもそこのところは、観る人の自由性については最大限尊重する。
ただ、自分が作品や展覧会にタイトルを付けるのは、その行為(制作)を美術作品として成立させるための必要性、重要性があるからで、今回のタイトル、「Muddy River 泥の河」も例外ではない…。
と言うよりもむしろ、今回制作する作品はインスタレーションという表現方法として分類されるものであって、会期終了後には作品は解体して片付てしまうので、後に残るのはタイトルだけということになる…。
自分のこうしたインスタレーション作品にとっては、実はそのことはとても重要で、そのことからすれば、タイトルを決め、制作を始めると決意した時点で作品とししての半分が成立しているようなもの。残りの半分のための制作を展覧会として、明日10月10日から始める。
自分は常々、作品をつくる際に先ずは思考の言語化という作業から入ることにしている。
それは作品として公表することもあるし、しないこともあるし、具体的に作品そのもののについてもあるし、自分の心象であったりもするけれど、いずれにしても自分の作品にとって言語化という作業は欠かせない。
「Muddy River 泥の河」というタイトルは二つの理由、二つのストーリーが重ねたタイトルで、一つは、Muddy River
それは、人々の暮らしを育む川 Muddy Riverとその流域との関係。言い換えればそれは、生を育む川。
もう一つは、泥の河
これは、宮本輝 原作の「泥の河」を映画化した、小栗康平監督による「泥の河」そのものと言ってもいいのだけれど、小栗康平監督がこの原作をどう捉え、それをどう表現しようとしたのかについてに、自分は以前からずっと強い関心があって、今年、自分が作品を制作しようと思い立った時から、このタイトルがずっと頭から離れず、だからと言って、それをそのまま展示のタイトルにして良いのかと考えたものの、結局のところ、これに向き合う他ないのだろうな…といまは思っている。
10月10日から11月9日までの期間
美術作品の制作と展示を行います。
私(小池マサヒサ)の作品制作する現場と完成する作品を見て頂くことをつうじて、それぞれにとってのいまについて考える機会として頂けたら嬉しく思います。
小池雅久展 2022
Masahisa Koike Solo Exhibition 2022
「Muddy River 泥の河」
会期:2022年10月10日~11月9日
場所:FlatFileSlash Warehouse Gallery
〒長野県長野市小鍋11-17
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