国という概念が領土をめぐる争いや様々な問題を生じさせる根本的な要因…という捉え方には大筋で同意できる。
だからジョン・レノンは嫌いじゃないし、Imagineを聞きながら、Imagine there’s no countries と口ずさみ、想像してみることは大切だと思う。
…
だからと言って、国という存在をすべて否定するつもりもないし、少なくとも、いまはまだ人類はそれが無くて生きられる迄に成長出来ていないと思う…。
だだ、私たちはどこか、国に対する永遠性を盲目的に信じ込んでしまっていやしないか。
フランス革命を経て成立した近代国家にしても、せいぜい200年ほどの歴史しかないし、国を司る体制や仕組みが変わった今も、依然として争いは無くなる気配すらない…。
それを思えば、そもそも国という存在を是とする考え方こそが争いが起こる根本にあると考えるべきであって、どちらの国が正義だとか悪だとかを論じても本質的な解決にはけっして至らない。
自国の権利と自由を守るための国と国との戦い…それはまるで双方が火に油を注ぎ続けるようなものであることを、本当は私たち誰もが解っているはずなのに…。
国とは何か。
何故、人は国を必要とするのか…。
この難問について考える重要なきっかけが芸術…と言えば、出た!出た!!またそれですか…と思われはするだろうけれど、
そもそも、芸術(正しくは、Art)の成立は、西洋近代国家の成立との関係無くしてあり得なかったわけであって、Artと国との関係は、国とは何か。人は何故、国を必要とするのかという部分に直結してしまっているのだから仕方ない。
自分が美術家として見逃せない関心は、ここと大きく関係していて、Artと美術はけっして=ではなく、≒であると考えていることにも通じている。
かなり飛躍した捉え方をすれば、Art≒美術であることはまた、日本列島において一万年以上続いたとされる「縄文時代」に通じていて、そこには間違いなく「美」の本質が関係していたのだと思っている。
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