「society 1」

感染症の世界的流行に始まる、ここ2~3年間の社会の動向から自分が最も強く感じることは、社会に生じた歪みを修正し、バランス(健全性)を保つために必要な、社会にとっての最大の自己免疫力とも言える、自らが感じ考える力 が著しく衰えてしまったのではないか ということ。

メディアをつうじて発せられる一方的な情報に、こうも見事にしがみつくようになってしまった現実も、この力の衰えが原因であると思ってはいるけれど、こうした傾向は、いまに始まったことではない…というか、自らが感じ考えること…の必要性を社会が求めなくなってしまった、あるいは、出来なくなってしまったという状況が顕著に感じられるようになると同時に、社会が大きく変わり始めたのがここ数年間だったと言える。

この変化によって、今後社会の様々な部分に深刻なダメージとなって現れてくるであろうことが予想出来はするものの、なんとも言い様のないやるせなさというか、無力感というか…。

モヤモヤとした気持ちを抱きながらの夏の朝。

日本人の多くは、かつてこの国で起こった戦争の終結を期に民主主義国家として新たな道を歩み、そして、いまも変わらずその体制の中にあると思っている。

民主主義とは、主たる国の構成員である国民、民衆、大衆、人民などと称される人々が最終決定権(主権)を持つ制度、政体の示すもの。

学校教育では、その民主主義を確立するための三権分立というしくみについて教えられて来てはいるけれど、かつて社会科小僧だった自分の記憶には、この民主主義が個人主義という考え方に基づいていること。その対としては全体主義があるということ。この個人主義という概念は西洋社会によって育まれた概念であること…について社会科で教わったという記憶がない。

そもそも「社会」という概念にしても、明治になってから輸入された概念なのだが、自分が いま・ここについて考える時、社会しかり、芸術や美術、自然…など、明治の初頭に西欧から輸入された概念が いま と大きく関係していると思っていて、自らが感じ考える力が著しく衰えてしまった…と自分が思うことにしても、それは、いま に始まったことではない、というよりも、西欧に対抗するために、この国そのものが西欧と同等の力を持とうとしたあの時代の選択が関係しているのではないか。(そもそもその方向性の選択について自分は懐疑的だけれど…。)

かつてあの時代、この国が掲げた「富国強兵」というスローガンを実現するにあたって、西欧の考え方を徹底的に吸収しようとした時代。技術と文化という国にとって欠かすことの出来ない両輪を根底で支えるものが、概念もしくは哲学あると悟ったこの国は、日本独自の概念によって西欧の概念を理解しようとしたのだろうけれど、その当時の学者・文化人が、そうした概念の輸入されることによって日本人の心象にいかなる変化が現れるのか記した作品は数多いけれど、その時代からとかく日本の国際競争力ばかりを気にするといった日本の姿勢が延々と続いていることが感じ取ることができることからすれば、あの時代に生み出された作品の数々は極めて重要で、そうした作品をいまに生きる分がこれから先について考えるためにどう活かすべきかを真剣に考えなければならないと思うと同時に、自分が美術家としてこの世を生きる一つの役割として、あの時代といまを次にどう繋げれば良いのかは、極めて重要な自分にとっての課題だと思っている。

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