見失う

私が美術家という生き方を選んだ理由は幾つかあるけれど、なにより、長野という地に生れ、その地で幼少から少年期をすごしたことは、その後の自分の選択に対して常に大きく関係していることは確かなこと…だとすれば私にとっての美術家という生き方は、ここ…長野盆地の北西…善光寺にほど近い山と町の境目あたりに生れ育ったから…と答えることもできる。
ただ、これが理由だと答えてはみても、それがどのように伝わるかのはわからない。自分が選択した美術家という生き方と生まれ育った風土との関係は理
解されないまま…結局は美術家とは理解しがたき生き方だと思われてしまうことに気が引けてしまう自分がいる。

何を弱気なことを言っているんだ…そんなこと気にしているようではダメだ…美術家という生き方とは美術家たる自分の信念を貫き、いばらのごときこの世を突き進むことにこそ意味がある…と言われるかもしれない。
…でも、この国が戦争をしたという事実は薄れ始め、高度経済成長期とも言われるような時代の真只中で学生時代をすごし、そうした時代のさなかに美術やArtに触れた自分は、正直なところ、そうした気概が美術家にとって必要であると言われようが…誰からの理解も得られなくとも貫き通す信念を持った美術家であろうとは思ってはいない…。
…とはいえ、私から見える…私の視界のはるか前方にいる美術家・芸術家には、美術家・芸術家あらんとする強靭な精神力を感じるしその姿に憧れもする。
その姿は、たとえ誰からの理解を得られなかったとしても貫き通そうとする信念そのもののとして映る時もある。
それが世間そのものでもある私たちが美術家や芸術家に対して押しつけた幻想のようなものであったとしても…そうした世間がつくりあげた幻想の中にあえて生きようとするのもまた美術家であり芸術家なのかもしれないと思う自分もいる。

Christo and Jeanne-Claude は、私が美術家という生き方を選択する上でとても大きなきっかけをあたえてくれた美術家だ。
共に1935年生まれのクリストとジャンヌクロード(ジャンヌクロードは2009年に他界)は、1960年初頭から現在に至るまで「芸術とは何か」を社会に問い続けてきた。とくに、プロジェクトとも呼ばれる巨大なアート作品の制作にあたっては、作品設置の舞台となる場所の住民や行政との交渉他、様々な人々の理解が必要であり、時にプロジェクトそのものに対する反対運動や「芸術か否か」といった論争にも巻き込まれながらも、全て自ら巨額を集めプロジェクトを遂行している。

私はその作品性に芸術家の並々ならぬ強靭な精神力を感じはするものの、誰からの理解も得られずとも貫き通そうとする精神性…は全く感じない。
住民や行政との交渉、資金集め、制作に対する協力の要請…なぜそこまでして…と思う程に深く人と関わりあうクリストとジャンヌクロードの生き様に、この社会にとって芸術が果たす役割とは何であるのかを考えさせられる。

人と人のつながりが希薄になったと言われる昨今…人がつながることが大切なことは私たち誰もが感じている。
でもそうした“つながり”は無くなってしまったのだろうか。
私はそうは思わない…私たちはつながりとは何であるのかを見失ってしまっているでけなのではないだろうか。

クリストとジャンヌクロードは、そこに美しさがあると感じた時、その美しさを自らが見る為に、多くの人を巻き込みつつそれを見ようとする。
そうした想いの実現には、膨大な年月と労力、そして巨額の費用を必要とすることもあるけれど、「美しさ」とは瞬間でもあり永遠でもあるということを私たちはその作品からまざまざと感じることができる。
長い時間と膨大な努力の積み重ねによってしか見えてこない美しさもあるけれど、それでもこの世に美しさがあり続けていると同じように、人々はずっとつながり続けている。…にも関わらず現代に生きる私たちはその事実を見失いがちなのだ。
それはどうしてなのだろう…。
クリスト&ジャンヌクロードは、いまを共に生きる私たちに対して、いまここにしか無い美しさとは何であるのかを見せてくれる類まれな美術家であると私は思う。

http://christojeanneclaude.net/

Wrapped Reichstag (Project for Der Deutsche Reichstag – Berlin) 1971-1995

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