「ほんとうの声を届ける ~ アートだからこそできる伝承」

子供の頃から、余裕を持って臨む…が苦手だった。

学校の勉強も宿題も、試験も、岩登りも、余裕を持って臨んだ記憶は薄い。 

だから案の定、今回のGalleryMzekozeの企画展もまったくもって余裕がなかった…、というか、そもそも、完成したモノや記録の展示が目的ではなく、いま・ここ という時空を如何にして捉えたら良いのかを、展覧会ぎりぎりまで考えていたことからすれば、ときおり質問される、「ここで、自分の展示はしないのですか?」に対する一つの返答が今回の企画展でもあると思っている。

「渡辺一枝 と、たぁくらたぁな仲間たち展」

という、なぞだらけのタイトルだけは、随分と前に決めてしまっていたものの、朧気なイメージがあるだけの状態がずっと続いていた。

とは言え、展示の準備がようやく終わり、展覧会が始まったいま、それは余裕とは正反対の状態へと自分自身を追い込むためだったのだと思う…。

常日頃、いま・ここ を、まざまざと生きているという実感を得たいと思っている自分にとって、余裕とはあの実感を遠ざけるものなのだ思い当たる節は確かにある。

かつて自分が岩登りばかりしていたのも間違いなくそこと関係していたし、あの経験が無かったら、いま自分は美術家を名のってはいなかったとさえ思う。

自分にとって、美術家という生き方と岩登りは直結しているけれど、勿論のこと、岩登りをしたからといって美術家という生き方を選択するということではない。

しかし、その間にはきっと何らかの関係性があり、その関係性はこの世に生きる誰でもが共有できる可能性があると思っていて、その関係性が何であるのかについて考えたとき、間違いなくそこに、「美の本質」があると思っている。

この世には様々な限界というものがあるけれど、とりわけ自分の限界といった場合、そもそも自分の限界という明確な基準はどこにもない。にも関わらず、限界に挑むとか、限界を超えるとかいうキャッチコピーが世間に氾濫しているのは、誰もが自分の限界というその言葉が気にはなるけれど、その限界の本質には至れない、至る勇気を持てないからだと思う。

そんな基準のない限界に対して何らかの基準…限界という一線を引くのは自分自身でしかないはずなのだが…。

目には見えない…、それでいて自分がこの世を生きているからこそ時に現れる限界という一線があるとして、その一線の方向へと向かって歩み、そしてそこに何があるのかを知ろうとする生き方があり、その生き方を選ぶ人がいる。

そういった人たちはそもそも、自分にとっての限界に挑むつもりがない…というか、自分を揺り動かす何らかの衝動に突き動かされている人と言うべきか…。

自分を魅了するのはそんな人たちの生き様であり、そうした生き様の中に、この世がこの世であるために必要な「美の本質」があると自分は確信している。

自分が、渡辺一枝 という人物に出会ってから、もうすぐ13年になる。

おそらく、福島第一原子力発電所の事故がなかったら、作家・渡辺一枝という人物をその仕事からしか知ることが無かったのかもしれない。

それを思うと、あの大震災によってこの世は大きく揺れ動き、原発事故という未曽有の大災害が起きてしまったその後を生きているといった実感を、自分は少なからず、渡辺一枝さんをつうじて感じていることは確かなことであって、この、『』つうじて』 というその部分こそが、極めて重要で大切な意味があると思っている。

※2月4日(日曜日) 午後2時~4時 

渡辺一枝さんとのトークがあります。

予約不要です。 参加費 ¥1,000~

「ほんとうの声を届ける ~ アートだからこそできる伝承」

中筋純(南相馬市小高、俺たちの伝承館 館長)

渡辺一枝

小池雅久(ギャラリーマゼコゼ代表・美術家)

「渡辺一枝 と、たぁくらたぁな仲間たち展」

2月1日~3月7日まで、(イベント開催日以外の 日曜日、月曜日 お休み)

Gallery MAZEKOZE 

長野県長野市長門町1076-2

gallery.mazekoze@rikitribal.com

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