私たち家族が暮らすここ 長野市長門町は善光寺の門前にある町。
とはいえ門前町とは何処までなのかは定かでは無く曖昧…なんとなくこのあたりまで…という感覚的な範囲が善光寺門前町ということになる。
行政によって区画された範囲では無い、いい加減で曖昧な範囲としての門前町だからこそそこには可能性があるし、それだからこその門前町なのだと思う。
かつて隆盛を極めた善光寺信仰はもはや壊滅的なほどに衰退、形骸化してしまっているのが現実だと言わざるを得ないけれど、この状況を憂いてもしかたない…。
信仰心はさておき、そもそも神社や仏閣への参拝は世間の空気感の現れ…参拝がいわば観光と一体であったからこそそこには様々な繁栄もあったのだろうし、そうである以上、そこに流行り廃れがあるのはあたりまえ…。善光寺商法とまで言われるほどの隆盛を誇った善光寺門前町もまた、そうした時代の空気感によってそこへと押し上げられた町であったのだと思う…。
だからこそ、いまを憂い昔を懐かしむのでは無く、善光寺という存在があったからこそ…かつて隆盛を極めた此処であるからこそ、いまここ に至るまでに、ここで何があったか…ということにしっかりと目を向けなければならないのではないかと思うのだが…。
いまにして思えば、自分は幼い頃からそれが何であれ、古いものや朽ち果ててゆくもの 滅びゆくもの に興味があった。
祖父母の家にあった古い農機具を片っぱしから引っぱり出したり、裏山の中で苔むした地蔵を数え回ったり、何の動物の骨がわからない骨を拾い集めたり、家の前の川原に流れつくゴミの中から何か使えそうなものはないかと自分だけの宝物を探し回ったり、廃屋、廃墟に心惹かれるのもあの頃からだ…。
そして随分と時間が経った…いまだそうしたものへの興味がまったく変わっていない自分に驚く。
私が家族を連れ、長く暮らした東京を離れここに戻ってきたのも、ある意味では、
ここ…善光寺門前町が、朽ち果て滅びゆくものが放つ何かしらの気配と同じ気配を漂わせていたから…別の言い方をすれば、あれだけ嫌いだったこの町に何かしらの魅力を感じ、結果として此処へ戻ってきたのは、私の中に息づく、退廃に対する美学… のようなものにこのまちがマッチし始めてていたからかもしれない…。
この世に存在するものには、全て 生命 がある。
生命とは、命がこの世を生きる為に与えられた時間…に近い。
全ては朽ち果て滅びゆく生命の中にあるとすれば、何をしようがその生命の長さはさほど変わらないのかもしれない。
全ては、いずれ死に、朽ち、土に還る ただそれだけが連綿と繰り返される…。
でもそうした生命という絶対の中に生きている間は、この世に翻弄され 、もがき、悩み 、 立ちすくみ、 悶え、 のたうち、思い悩みたい。
泥沼のようなこの世で時に暴れ、 頑張り、模索し、葛藤し、苦悩し、じたばたと闘いたい…と思う。
いまはまだよくわからないけれど、そうすることの中できっと、生命が輝く瞬間が一つまた一つ…見えてくるような気がする。
生きていて良かった…と思いたい。
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