「信濃国 さらしな 姨捨山」

わが心 なぐさめかねつ さらしなや
姨捨山に照る月を見て

「古今和歌集」 詠み人知らず  平安時代初期

歌に詠みこまれた諸国の名所を歌枕と言うそうだ。
信濃国を詠む和歌の多くが「更科」「姨捨」を歌枕とするほどに、かつて平安の都の歌人にとって信濃のイメージは姨捨の月、更級の月であり、その月をつうじて自らの心象を表わそうとしていたのだろう。
清少納言の「枕草子」、菅原孝標女の「更級日記」、江戸時代になると松尾芭蕉の「更科紀行」でもその名が登場するなど、姨捨、更級は長い年月を通じて育まれた、心の表現にとって欠かすことのできない重要な風土感覚であると私は思う。

更科 姨捨の斜面が耕作地として開墾されるようになったのは、中世末期にあたる16世紀後半の頃から。
姨捨の棚田は、姨捨山…正式には冠着山(かむりきやま)標高1252M の山塊が地滑りによって押し出された土石流の堆積斜面上、標高約460メートルから約560メートル、広さ約25ヘクタール(1ha/10,000㎡)25万㎡、そこに約2000枚の棚田がある。
おそらくは縄文時代からこの斜面に人が住みつき、点在する湧き水を利用して畑作や稲作が行われていたのであろうが、中世末期、戦国時代が終わりに近づいた時代…人口も増え始めたであろう頃から、自然河川を元にした(更級川上流の大池から)用水路が整備され、安永6年(1777年)には既に約42ha、明治10年(1877年)には85ha、現在の棚田の3倍以上もの棚田が築かれていた。
もちろん棚田は全国各地にあり姨捨に限ったものではないにしろ、いまもこれだけの規模の棚田が残っている場所は多くはない。
棚田を築いてきた時間と労力、棚田を維持存続させてきた先人たちの努力の一端を現代に生きる私たちが垣間見ることができる場所は極々限られてしまったということだ。

そうしたことを思いながら姨捨の棚田から善光寺平(長野盆地)を眺めれば、かつてここを築いた人々は、この盆地の中央付近を右に左に蛇行しながら流れる千曲川は山の谷間を泳ぐ竜のごとく見えたのではあるまいか…とか、いまとなっては僅かに残るだけの鎮守の杜と同じ緑がこの盆地全体を覆っていたであろうことを想像すれば、きっと空の色もいまとは違っていたのではあるまいか…とか、月はいまよりもずっと明るく大きかったに違いない…とか、妄想は沸いて消えることがない。

姨捨に限らず、もはやどこの棚田であれ、この国の食料生産の要では無い…山の棚田は既に僅かな生産力しか持っていない。
戦後、稲作の大規模化、機械化が推し進められ、農業機械が導入し易い大型の長方形に統一されて整備されるようになるにつれ、山地の傾斜地にあり地形に沿った不定形の棚田の多くは営農放棄されたり荒廃してきたものの、かろうじて残った…残さざるを得なかった棚田は結果的に貴重さを増している。

現在も棚田が残っている理由に多少の近いはあれど、そうした多くは、稲作の大規模化、機械化ができなかった場所…ようするに、手間のかかる場所であるにも関わらず、その手間を担うだけの力があったということだ。
棚田とは基本的に、上から下へと重力落下する水の流れをスムーズに延々と繋げるしくみである以上、何処かで水の流れが滞ればその影響は水の流れはもちろん、棚田そのものが崩壊する可能性もある。
簡単に言ってしまえば、棚田は全てが繋がり関係しあうことによって成立するしくみ…みんなが協力してからこそ維持機能できるのであり、誰か一人が耕作をやめるとその影響はすぐさま全体に及ぶということでもある。

こうした旧来型で非生産的なしくみが現代もなお残っている理由は何か…。
大規模集約農業が主流のいま、効率性から見れば、正反対の…完全なマイノリティーな棚田が持てる重要性…
それは棚田の背景に息づいてきた文化にあるのではないか。
結果として、素晴らしい景観は残ってはいるけれど、いくら国の重要文化的景観に選定されたとはいえ、残念ながら現在のような表面的に景観をなぞるだけの観光があるだけでは、棚田の存続は難しいと思う…。

姨捨の素晴らしい景観は既に姨捨だけのためだけにあるのではない。
この棚田の背景にある目には見えない歴史 文化は、名も無い山村に築かれた棚田も含めた全てによって築かれてきたものであり、そうやってつくられたこの国の棚田文化は私たちの心に深く関係しているのだと私は思う。

平安の歌人が詠んだ歌も 芭蕉の句も知らなくてもいい。
でも平安の歌人たちが想い続けた姨捨を、更科を…
ここに生きてきた人々はずっと ずっと見続けてきた…その結果がいまに残る棚田なのだ。

かつて平安の都の歌人が姨捨に 更科に何を想い、そこに何を映そうとしたのか。
かつて棚田を築いた人々は此処から何を見て何を感じたのか。
いまここを耕す人々は、ここから何が見えているのだろうか。
…。
感じる。
ここに何かある。
その何かが私の心の内の何かを震わせる。

更科 姨捨の月はどっちに出るのだろう。

9月8日

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です