どうしてもこの時期が好きになれない自分。
来年の今頃こそはこの時期が好きと言っていたい…と真剣に考える今日この頃。
昨日、来たる2月に開催予定のシンポジウムでファシリテーター役を務める際の案内用に必要なプロフィールをお願いします…と連絡があった。
自分のプロフィールなので自分が書くのが一番良いのだけれど、こういうのってほんと難しい。
小池雅久…長野市生まれ善光寺門前まちにて育つ。高校を卒業後、美術大学進学をもくろみ上京。以後、東京都国立市に暮らしつつ、1999年、アートと街との関係を探る為のアートプロジェクト 「プランターコテッジ」の制作と活動をスタートさせ現在も継続中。2008年・2009年、文化庁支援事業「くにたちアートプロジェクト」を展開、同プロジェクト実行委員会副委員長。2009年、長野市長門町にアトリエ+住居を移す。同11月、「カフェマゼコゼ」をオープン。持続可能性をテーマとした美術活動を続けている。
ちなみに、プランターコテッジ(PlanterCottage)のBlogは、
http://plantercot.exblog.jp/
…と言うことで、私や私たち(リキトライバル)の活動を語る上で欠かせないワード…「持続可能性」についてちょっとだけ書いてみようと思います。
持続とは一般に、長く保ち続けること、長く続いていることを意味するものですが、哲学者ベルクソンは持続を間断なき意識の流れとして捉え、その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴とし、止めようなき自発、能動によるもの、このような持続を「純粋持続」と呼び、この純粋持続こそが自由の源泉であると言っています。
このところ持続可能性=sustainability(サステナビリティ)という単語を耳にすることが多くなった気がします。でもそこで言わんとしているのは、環境問題やエネルギー問題であり、持続可能性がそれら問題を語る上での枕詞として捉えられがちである気がします。
地球環境の悪化やエネルギー源の減少や消失は、私たちの暮らし(経済)をもろに直撃する、目に見えやすい、理解しやすい概念なので、持続可能性問題=環境問題、エネルギー問題の解決…という式が導き出されるのはある意味当然かとは思います。
しかし、環境を地球というスケールで見るだけでは見えないものだらけですし、私たちにとって必要なエネルギーはいわゆる地球資源だけとは限りません。
環境コミュニケーションのオープン・プラットォーム であるジャパン・フォー・サステナビリティ(JFS)では持続可能性について次の5つの概念を掲げています。
①資源・容量:有限な地球の資源・容量の中で社会的経済的な人間の営みが行われること。ありがたい、もったいないという概念。
②時間的公平性:現行世代が過去の世代の遺産を正当に継承しつつ、将来世代に対してそれを受け渡していくこと。
③空間的公平性:国際間、地域間で富や財、資源の分配が公平に行われ、搾取の構造がそこにないこと。
④多様性:人間以外の他の生命も含め、個や種、文化的な多様性を価値として尊重すること。
⑤意志とつながり:よりよい社会を築こうとする個人の意志と、他者との対話を通したつながり、柔軟で開かれた相互対話と社会への参加
持続可能性として一般的に認識されている環境問題やエネルギー問題に端を発する概念は、主に①に呼応するもので、それ以外の4つ、②~⑤とまったく関係無いとは言わないまでも、持続可能性とはこうした5つの概念が相互に深く関係し合っているということについて見失いがちであることに気がつきます。
今年10月、 「COP10」…生物多様性条約第10回締約国会議(COP=Conference of the Parties)が名古屋で開かれました。「生物多様性」とは、あらゆる生物種の多さと、それらによって成り立っている生態系の豊かさやバランスが保たれている状態、さらに生物が過去から未来へと伝える遺伝子の多様さまでも含めた幅広い概念のことを示めすものだそうですが、「生物多様性」についての理解は、持続可能性についての理解へのきっかけとしてとても有効だと思います。
美術(Art)との出会いは、私の生き方を決定するとても大きな出来事であったことは間違いありませんが、ある時から今現在まで、私は持続可能性をテーマとした美術活動を続けてきました。
私にとっての美術(Art)は、私たちが生きる世界が物質界と生命(意識)という異なる時間軸の流れの中にあるということに気付く大きなきっかけでした。この感覚はそのことに気が付いた瞬間から今もずっと変わらず持ち続けています。この先も、おそらく生きている限り、私はこのArtを手離すことは無いと思います。
あの瞬間以来私は、「生命あるいは意識がつくる時間軸を感じること」について考えて続けてきました。
この「間断なき意識の流れ」は概念や言葉では伝わらない…それは物質に流れる時間軸とは異なるものです。生命の時間軸、意識の流れを私たちがこの世の中で直接所与されるためには…?
私がそのためにつくろうとした場所。
それが東京国立市にあるPlantgerCottageでした。
1999年に始まるこの場づくりによって、私はたくさんの間断なき意識の流れをそこに感じてきました。
そして現在、東京を離れ長野に移り住むことを決めてからまず最初に始めたこと…。
それはPlanterCottageと同じく、生命の流れを直接感じるための場づくり…それがcafeMAZEKOZEです。
『私が感じるまま…』 それは概念や言葉から解放された生命という時間軸の流れに身をゆだねること。そこには「自由」があります。
生命の時間軸は逆向きにしたり、こま切れにしたり、並び変えたりすることはできないひとつの流れであるという感覚は私たちひとり一人の内に沸き起こる気付きからしか起こりません。
そしてその気付きは何時起こるのかもわかりません。
ベルクソンが言う「純粋持続」同様、「持続可能性」もまた自発、能動の先にあることは間違い無いと思うのです。
小池マサヒサ 記
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