痛みや苦しみ

痛みや苦しみ
このところ私に起こっている症状についての原因は未だ不明。
いくつかの病院を行き来し、総合病院への紹介状が出て、組織細胞検査?なるものに進んだものの未だ結果は判明せず…、原因が特定できていないのでいまのところ治療は難しいとのこと。
とはいえ、痛みはずっと続いたままなので、それをなんとかごまかす…あるいはそれを忘れられるようなことをしていないと気持ちがすさんでくる。口の内部と喉が火傷に似た状態でもあるので、食べるにも飲むにも痛みが伴うものの蕎麦だけは痛みも感じずに食べることができるのでこのところは蕎麦で生きている感じ。
幸い、熱があるわけでもなく、動くことができないわけではないし話しもできる。
「病気だと聞いたけど別になんともないじゃない」…とか言われたりもして…。
あらためて「痛み」は目には見えないものであることに気付かされます。

皆様から、いろいろなアドバイスやご心配を頂きありがたく思っています。
ご迷惑をおかけしている方、ほんとうにごめんなさい。

生まれてからこのかた、これといった病気にかかることもなく極めて健康、体力も腕力も人並み以上…の自分。おそらくそんな自分への過信、きっとそのあたりに何らかの原因があるのでしょう。
そんな自分について反省しすぐに改めたいという思いはあるものの、何をどう改めれば良いのやら…。
変われない自分にうんざりなのは今に始まったことじゃ無いけれど、なかなか改善しない症状に、焦ってもしかた無い…とは思いつつ、いったいどうなってるんだ自分…と、煩悩にまみれた私の焦りは募る今日この頃です。

…というわけで、私の気は病んでいるのだと思います。
そんな時に自分の足が向くのは「山」。
最近のパワースポットブームで山の中の一点に人気は集中してはいるようですが、何はともあれ、山には気が満ちている…ということは確かですし、山から何かを感じ取って頂けるのならブームであろうがなんだろうがかまわないと私は思います。
気がつけば、先週から今週にかけては何度も善光寺門前町と山の中を行ったり来たりしていました。
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私の父と母、その父と母そのまた父と母…は長野市近郊の山村に生まれ育った人々です。私の先祖にあたる人々がいつ頃からなぜ山に暮らし始めたのかはわかりません。
私はそんな山村と善光寺門前町の境界線上にあるような町…戸隠山や飯綱山を源にする川の流れが最後のカーブをつくり善光寺盆地へとそそぎ込むそのあたり…川の流れの音が片時も途切れることなく聞こえるあたりで生まれ育ちました。
今もたくさんの親戚や友人は善光寺門前町の周辺に広がる山の中で暮らしています。

幼少の記憶の大半は山の記憶。
私の中にある遺伝子はそんな山の記憶で満たされているのだと思います。
山に出かけて気持ちが満たされるのは、遺伝子のプールに蓄えられた山の記憶と私が感じる山の気配が振動し響きあっているからこそ。
おそらく、遺伝子レベルでの体内振動を自然治癒力と呼ぶのだと思います。

山は豊かな恵みをももたらすその一方で、河川の洪水や土砂崩れによって一瞬にして全てを奪い去ることもあります。こうした土地に暮らし続ける人々の中に、山の自然への畏敬の念が生まれるのは当然のことだと思います。
山村に点在するどの集落にも必ず神社が祀られ、はるか昔からそして今も山の神々と共に山の暮らしは営まれています。

とはいえ、町の暮らしは便利さ快適さを増し、それに比較すると山の暮らしは不便だと言われるようになってから随分と時は経ちました。
山に暮らす多くの人々が百姓から農家へ、専業農家から兼業農家と移行してゆく流れは、善光寺門前町界隈の賑わいが徐々に長野駅周辺へと移り変わってゆく長野市街地の変化に比例して進行してきました。
町に暮らす人々の暮らしと、周辺の山村の暮らしが一体となって繋がりあっていた時代、それが、善光寺門前町の賑わいの姿であったことは間違いありません。
そしてそれこそがこの地域でしか成立し得ない「循環型の社会体系」そのものであったと思います。
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東北大震災という惨事は、私の遺伝子の奥底にある何らかを揺り動かしていると感じています。でもその「奥底にある何か」とは何なのか…。
正直なところ、私にはそれがまだわかっていない。
原子力エネルギー利用はすべきでは無い…。
でも、どんなに核の歪みや原子力エネルギー利用の歪を知ってみても、どんなに自然エネルギーへの転換が叫ばれても、私の中の遺伝子は、そうした知識や転換ビジョンぐらいでは振動しないことを感じます。
感覚として何かを感じてはいるものの、それを実感できないまま、あともうちょっと…でも掴めない…とどきそうでとどかないという焦りにも似た気持ちを抱いたまま、震災から100日目を迎えました。
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善光寺での100日法要に娘と参加した翌日、東北大震災から101日目。戸隠の古民家に移り住む友人宅の地鎮祭にお邪魔しました。
この集落は戸隠地区にあるのですが、戸隠山では無く飯綱山に降り注いだ雨の恩恵を受けて農耕が営まれてきた集落。その昔、そこからもう少し下った場所にある集落に暮らしていた人々が開拓し築いたのだそうです。
飯綱山南面から西面に降り注いだ雨は、戸隠連峰の最高峰、高妻山(標高 2,353m)に源を発する裾花川へと集まり、その流れは善光寺平を経て犀川、千曲川へ。その後もいくつもの流れは合流しつつ信濃川となり日本海に注ぎ込みます。信濃川水系の流域面積は11,900 km2、関東平野を流れる利根川、北海道の石狩川についで3番目。

森に暮らすことを決意しこの地に生き続けてきた人々の歴史…。
そこには常に自然との対話を繰り返しながら、自分たちが死んだ後のはるか未来を想像しつつ、自然と一体となろうとした人々の姿…生き様を感じることができます。
この風景の美しさを前にすると、私の遺伝子の奥底にある何らかが揺り動かされることを感じます。

この美しさをどうやって次の人に伝えようか…。
この季節の山々、そして山村の風景はほんとうに美しい。
この美しさは、自然と人々が共に紡ぎ出した美しさ。
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かつて森を開き、村をつくり、自然を敬いつつ、自然との対話を絶やさず山の暮らしを続けてきた人々の苦労は、私の想像をはるかに超えるものだったはずです。
そうした人々が便利さを求めていなかったとは思えないものの、長い年月をかけてつくられてきた山村の風景を見ていると、そこにある便利さは私たちが生きる現代の便利さとは何かが決定的に違うと思えてくるのです。
山の暮らしを選んだ人々は「便利さ」「快適さ」をどのように捉えていたのだろうか…と思います。

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「無痛文明」の著者、生命学者・哲学者である森岡正博氏は、あるエッセイの中で現代社会でもある「無痛文明」を以下のように語っています。

「文明が進歩することによって、何か大切なものを置き忘れてきてしまった、というような牧歌的な次元は終わり、文明は、私たちに「快楽」と「快適さ」を惜しみなく与え、それと引き替えに、私たちから「生きることの深いよろこび」とでも言うべきものをシステマティックに奪い去ろうとしているのではないか、というふうに私には感じられるのである。そして、私たちは、その事実から目をそらすための仕組みを、社会に中に張り巡らせて、私たちがみずからの「空虚」に気づかなくて済むようにしているのである。」

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森岡氏が「無痛文明」と呼ぶ現代社会とは、私たちの身の回りから「苦しみ」や「つらさ」が次々と消去されていくようなシステムであり、目には見えないこのシステムが社会全体をすっぽりと覆いつくし、いまなお、積極的にこのシステムを増殖させ進化させ続けている…そして何よりも、ほかならぬ現代社会に生きる私たち一人ひとりが、このようなシステムを裏側からしっかりと支えてしまっているということなのです。

私たち誰しもが、人生のなかで、つらいことや苦しいことに、なるべく出会わないように願っています。苦しいことやつらいことになるべく出会わないで済むような社会をみんなで作り上げていくこと…そこにむかって皆が協力しつつ歩むこと。その方向・目的には何の間違いもなかったはずです。
しかし、便利さや快適さが日々向上し続け、モノに囲まれ、苦しみから遠ざかり、安定した生活を手に入れ、気持ちのよいことをたくさん経験できるようになったにも関わらず、なぜか心は満たされない…私たちは皆それを薄々感じてはいるものの、ただひたすら便利さ快適さを求め続けるしかないほどに無痛文明は巨大化してしまっているのかもしれません。

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私たち自身がここまで強大化させ続けてきた社会を根本から変えることは難しい。
難しけれどそれをしなければ私たちひとり一人の心にできた空虚さはやがて社会全体を覆う空虚さとなり、やがて疑問も問題も興味も感じない…生きているのか死んでいるのかもわからない…そんな社会がつくられてゆくような気がします。

もしもこの空虚さが覆い始めた社会の中で「生きることのよろこび」…、「生きているという実感が全身を駆け巡るような感覚」を回復させる手掛かりがあるとすれば、その鍵はきっと、「痛み」や「苦しみ」「辛さ」のような現代社会が排除しようとしてきたもの…その周辺にこそある気がしてなりません。

「痛みや」や「苦しみ」は何も病気や怪我だけに限りません。
社会の標準から見たときに「病」として見えるもの…。
なぜか私は幼いころからずっとそんな病的な何かに魅了されてきた気がします。
岩に登ることだけ…それだけを考えていた頃も、PlanterCottageをつくった頃も、善光寺門前に移り住んだ今も…。
この社会であえてArtを選択し、Artによって生き続けてゆこうとすることも社会標準からすればりっぱな「病」なのかもしれません。
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今現在、自分が抱えている「痛み」はもっと大きな痛みを抱えている人々に比べたら取るに足らない痛みなのかもしれないと思います。
でも、「痛み」を感じているのはその人自身であって、そもそも、他人の痛みを自分の痛みと比較することなど誰もできないはずなのです。
そう思ってみると、痛みに大小はありません…。
大切なことは、他人の痛みを自分の痛みに置き換えて判断するのではなく、他人が感じている痛みは何に繋がっているのかということ…その痛みの周辺にある目には見えない社会と同じ今を生きていることを思えば、人の痛みを知る…ということは、実体のない、目には見えない社会を見ようとすることでもあるような気がします。

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町の暮らしは便利で快適です。
山に暮らしてきた人々が便利で快適な町に憧れ、山の暮らしを便利で快適にしようとすることを私たちは誰も否定できません。

山はほんとうに美しい。
この美しさをどうやって伝えようか。

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